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新彊野宴会(シンチャンバンケット) |
新彊野宴(シンチャンバンケット)
【イギリス人】 その8
僕らはジープ2台に分乗した。前を走るジープにはベルギーの留学生とスイスの留学生が、後ろのにはメアリー先生と池上君、僕が乗った。メアリー先生は助手席に座り、運転手に向かって早速文句を言った。
「遅いわよ!2時間も待ったわ!」
彼女は英語訛りの中国語で喚いた。
「ああ、すみません。仕度にちょっと手間取ってしまって。車検に出したジープが戻ってこなかったから、もう1台調達するのに時間がかかって・・・」
ドライバーが素直に謝っているところを見ると、非は中国側に有るんだろう。しかし、本当にジープを車検に出しているのかどうかは定かではない。ま、とりあえずこのツアーが中止にならなかったことをよしとしなきゃ。
車はすぐにクチャ郊外に出た。剥き出しの荒れ果てた大地が目の前に迫る。赤黒い土の世界に入り込んだかのようだ。
「まずはキジール千仏洞よ。洞窟の中の壁画がすごいらしいの!」
メアリー先生は運転手に文句を言ってしまうと、もう上機嫌であった。彼女は助手席から後部座席の僕たちの方に身を乗り出し、ずっとこちらを振り返りっぱなしで、キジール千仏洞について嬉しそうに説明した。クチャの名所旧跡に感心があるのか、かなり詳しく且つ熱く語っているところを見ると、ロンリープラネットだけを読んだのじゃないんだな。他の資料でもその知識を得たのだろう。そこへいくと池上君も僕も、キジール千仏洞のキの字も知らない。不勉強で恥ずかしい限りだ。
キジール千仏洞に着くと、メアリー先生は飛び出すように車のドアを押し開け、先頭に立って千仏洞の中に入って行った。先に降りていたベルギーとスイスの留学生を追い抜く彼女の後ろ姿はとても嬉しげだった。僕らもみんなの後を追って千仏洞に入った。
そこには青い顔料で染められた空に、数多く舞う飛天の姿が描かれていた。
「当時としてはブルーの顔料は珍しかったのよ。」
メアリー先生は興奮して独り言ともつかない言葉を発した。
「飛天が素晴らしいわ!想像以上よ!ファンタスティック!」
留学生も僕らもただ、ふうんとか、へぇとか、頷くだけだったが、メアリー先生は一人両手を固く握りしめ、目を皿のようにして食い入るように壁画を眺めていた。絵のことがよくわからぬ池上君と僕が真っ先に千仏洞を出、それから留学生達が出、メアリー先生が一番最後に出てきた。
「素晴らしかったわ。次はクズルガハ千仏洞よ。クズルガハの壁画も素敵なのよ、楽しみだわ!」
ジープに乗ってからまたメアリー先生は大はしゃぎで話し始めた。僕らの方に振り向いたまま、お次の見所を解説しだしたのだ。おかげで『地球の歩き方』を読む手間が省けそうだ。途中道の悪い箇所があり、ジープが激しくバウンドした。僕らもメアリー先生もドアに体をぶつけたが、彼女はおかまいなしに笑顔で解説を続けるのだった。
やがてジープは目的地のクズルガハ千仏洞に到着した。またもメアリー先生はパッと飛び出し、先頭を切って土の遺跡の中へ吸い込まれるように入って行った。僕らも留学生達も彼女の後に続いて入った。
見学できる窟に入った時、もうメアリー先生は陶酔状態だった。祈るようにして両手を組み、無言で壁画に見入っていた。
「感動しました?」
僕が声をかけると彼女はハッと我に返った。
「ええ、ええ。素晴らしいわ。さっきのキジール千仏洞と絵のタッチが違うでしょ。全く違う年代に描かれた証拠ね。」
メアリー先生は目を輝かせ、早口で言った。確かにさきほどの千仏洞とは異なった絵がここにはあった。青い顔料が用いられているのは同じだが、キジールでは優雅に舞う飛天など神の姿が描かれていたが、ここクズルガハでは人物が描かれている。しかも着ているものにも細かく筆が入れられていて、上着の裾や袖口を見ると西洋風なのだった。キジールのアジアンテイストとは明らかに趣を異にしたものである。西洋人が描かれているということは、西側と交流があったことを物語っている。
クズルガハでは見られる窟が限られていたので、見学は意外と早く終わった。我々はジープに戻り、カンカン照りのきつい日射しの中、砂漠の道を次の場所へと進んでいた。次についた所はスバシ古城という昔の城跡だった。城跡といってもほとんど形を呈していなかった。大地の上に今にも風化してしまいそうな土の要塞が、崩れ落ちそうになるのを堪えながら建っているように見えた。
それから烽火台にも連れて行ってもらった。土がうずたかく盛られたような塊が、地面から生えて天に向かって聳えていた。静かな荒野に黙って佇む烽火台は孤独そうだった。通り過ぎていく熱風のヒュルルルルルという音以外、何も聞こえなかった。僕らは一目見ると、深く頷いた。もうわかった、という気持ちだった。遺跡は確かにすごいし、意味のあるものなんだろうが、こうも暑いともうどうでもよくなる。早くジープに乗って、風に吹かれたい。はい、じゃあ、次にいこいうよ、次に。疲れた僕らは何も喋らずジープに戻った。
ジープの助手席にはメアリー先生がすでに乗り込んでいて、運転手と何やら話していた。が、どうも彼女の様子がおかしい。険しい顔つきで、また眉間に深い皺が縦に刻まれている。そしてついに、眉をつり上げて怒り出した。両手を高々と挙げ、運転手に向かって怒鳴り続けた。運転手も負けてはいない。メアリー先生に向かって言い返している。池上君と僕は急いでジープに駆け寄った。
「ど、どうしたんですか!?」 「どうもこうもないわ!アイン ベリー アングリー!!」
メアリー先生の顔は言葉の通り、怒りで真っ赤だった。
「次はクムトラ遺跡に行くはずなのにホテルに帰るって言うのよ!クムトラは今、解放してないって、このドライバーが言うの!でもそんな話、きのうは聞いてなかったわ!ちゃんと確認したのよ!キジールも、クズルガハも、クムトラも回るって言ったのよ、きのうは!これは明らかな約束違反だわ!!!」
彼女はヒステリックに叫んだ。興奮してずいぶん息が荒くなっていた。よっぽどそのクムトラ遺跡が見たかったんだろう。
「この人がいくらクムトラに行きたいって言っても、当の窟は今開いていないんだよ。見せられないもんは見せられないんだからしょうがないだろ。帰るしかないぜ。」
運転手は溜息をつく。
「話がどっかで行き違ったんやろなあ。さすがは中国や。」
池上君は半ば感心して、ははっと笑った。
「メアリー、しかたないよ。今日のところはホテルに帰ろう。」
僕はなだめたが、
「ひどすぎる!中国はこれだから信用ならないのよ!」
と、彼女はまた文句を言った。しかし無情にもジープは発車した。スイス、ベルギーの留学生を乗せたジープはもうとうの昔に発車しており、それを追いかける形で運転手はかなりスピードを上げた。走り出してからは怒りを静めおとなしくなったかのようにように見えたメアリー先生だったが、突然運転手の肩を揺さぶって叫んだ。
「やっぱりクムトラへ連れて行きなさい!本当にクローズドなのかこの目で確かめたいのよ!!クローズドならそれでもいいの!外見だけでも見せて!!!」
彼女が運転手の袖をひどく引っ張るもんだから、ハンドルを持っていた手がぶれ、車が左へキキキーッと曲がった。
「わあああーーーー!!」
後ろに乗っている池上君と僕は激しく体が傾いて、思わず声を上げた。
「わああ、やめろ!危ないからよせ!!運転できねえじゃないか!手を引っ張るな!」
運転手はメアリー先生を怒鳴りつけた。
「行きなさいよ!今すぐクムトラに行きなさい!!ゴー トゥ クムトラ!!!」
彼女は喚き、立ち上がった。
「あーーー、メアリー、危ない!!!」 「座ってください!座って!座って!」
僕も池上君も後ろからメアリー先生を力ずくで押さえつけた。
「オーマイガッ!!」
また立ち上がろうとする彼女を僕らが無理やり座らせると、
「頼むよ、あんた達。この人が暴れないようにしといてくれ!ちゃんと運転させてくれ!」
運転手が僕らの方に振り返って懇願するように言った。我々を乗せたジープはクチャの焦げ茶色の荒野を全速力で走った。まだ暴れ続けるメアリー先生を必死で押さえつけながら、クチャの珍道中は幕を閉じたのだった。
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テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学
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