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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 タイ編
その5【子ども達におんぶにだっこ】
とうとうアリアンヌのお宅にお邪魔することになってしまった。中学生とのツーリングを終えた後のことである。パッカー、アーイとお別れしてから、アリアンヌに連れられて着いたところは彼女の自宅だった。ちょうどおうちの前でワッセナーとジュディが遊んでいて、我々の姿を見つけると、二人ともパッと顔を輝かせた。ワッセナーが「あれ、あれ」と言うように道の奥まった方を指さしている。その方向に目をやると、食べ物の屋台があった。ははーん、食べたいのね、ワッセナーったらかざぐるまが回っているような嬉しそうな顔をしている。
「食べましょう。」
アリアンヌがいち早く屋台へ駆けていき、素早く注文した。それはタイの焼きそば“パッタイ”であった。ほどよく酸味が利いていてとってもおいしい。ナッツを細かく砕いたものがパラパラーッとふりかけてあるのも日本人には珍しい。しかし、子どもにおごってもらっただなんてちょっと恥ずかしいな。タイ語がわからないからどうにも為すすべがなく、主導権をアリアンヌ達に預けるしかしょうがないと言えばしょうがないのだが。
そこへアリアンヌ達のお父さんが現れた。お父さんは荷車に小麦粉の袋をたくさん積んで運んでいた。ご挨拶したのだがとてもお忙しそうで、荷車をこいですぐにどこかへ行ってしまった。
「さあ、うちに入ってくださいよ。」
アリアンヌに促されお宅に上がることになった。では、ごめんくださ~い。おうちにはお母さんがいらっしゃった。お母さんは優しい笑顔を浮かべた小柄な人だった。愛想よく「サワディカー」とご挨拶してくださったのだが、いつの間にか彼女もどこかへ行ってしまった。後に残されたアリアンヌ姉妹は台所でお皿を洗ったり、部屋を掃いたりと、家事手伝いをまずやった。私も少し手伝わせてもらった。その後アリアンヌは言った。
「晩ご飯、一緒に食べましょう。私たちが作りますから。」
なに!晩ご飯?さっきパッタイ食べたばっかりじゃない!だが、育ち盛りの子どもはお腹がすいたと見えて、すぐ仕度に取りかかった。アリアンヌとワッセナーが分業で準備している間、私はラオスー(老師)になり、ジュディの宿題を見た。小学三年生の算数だったから、手に負える範囲で助かった。
30分ほどしてご飯が出来上がった。アリアンヌ特製の玉子料理と、ワッセナー自慢の魚のスープ、白いご飯でいただきまーす!玉子料理は多めに油を引いた中華鍋に豚挽肉と玉子4個、パクチー、ナンプラーをまぜ、じっくり弱火で焼いたスペインオムレツのような一品だ。アリアンヌによると、これはベトナム料理だそうだからベトナムオムレツかな?台所の土間にゴザを敷き、私たちはご飯を食べた。オムレツもスープも子どもが作ったとは思えないほどおいしい。塩加減もちょうどよく、普段から作り慣れているという感じがした。先ほどの皿洗いといい、掃除といい、手慣れたふうにてきぱきこなしていたアリアンヌとワッセナー。きっと毎日おうちのお手伝いをしているのね。ノーンカイの子どもにはほんと感心しちゃうな。
ところで、彼女らはお父さん、お母さんと一緒に食事しなくてもいいのかな?子ども達だけでさっさと食べちゃっていいのだろうか。詳しく聞いてみたかったが、その英語を考えているうち、ご飯も半分以上進んじゃったので、この件は謎のままおいておくことにした。
「ねえ、ラオスー、ワットポッチャイに行こうよ。」
ごちそうさまの後、ワッセナーが提案した。ワットポッチャイというのはノーンカイ市内にあるお寺なのだという。
「ワットポッチャイにね、私の先生がいるの。とってもいい先生なの。」
そうか、そんなに魅力的な先生ならば、是非お会いしてみたいものだ。アリアンヌ達とともに食器の後片づけをし、我々はワットポッチャイへと4人乗り(アリアンヌ三姉妹+私)でスクーターを走らせた。
ワットポッチャイは想像していた以上に大きなお寺だった。もっとローカルなこぢんまりした寺院かと思ったら、夜でも参拝客がひっきりなしに訪れる華やかさに満ちたスポットだ。お寺の建物も非常に立派だった。
我々はワットポッチャイのお堂の一つに入った。ワッセナーが『マイティーチャー』と慕っているのはこのお寺のお坊さんだったのだ。彼女は素早く『マイティーチャー』を見つけると、私の前に引っ張ってきて紹介した。ティーチャーは典型的なタイのお坊さんであったが、がっしりした体格で顔までいかつく、柔道の師範のような風貌だった。思わず深々と礼をしたのだが、お坊さんは外国人の私にも優しく微笑み、お辞儀をして挨拶してくださった。笑うといかつさが緩んで可愛い表情になり、こちらもほっとした。
ワッセナーやアリアンヌがティーチャーの前で正座した。私も急いで真似をする。彼女らは私にティーチャーの前へ右手を差し出すよう指示した。なんのこっちゃわからなかったが、言われるまま右手をティーチャーの前に出した。その際、左手は軽く握って胸の前に置くようワッセナーからまた指示が出た。ティーチャーはありがたいお経を唱えながら、私の右手首にオレンジ色の細い紐を巻き付けた。どうやらお守りのようだ。きゅっと結わえるとお坊さんは「これで大丈夫」というようなことを言われた。
「私もよくこれやってもらうんだ。お守りだから自然に切れるまでずっとつけておくのよ。」
ワッセナーが説明してくれた。交通安全でも何でも、お守りの類が好きな私には大変嬉しくありがたいことだった。
「私、時々このお寺に来てティーチャーに話をするの。何か困ったことがあったら相談したり。ティーチャーはいろんなことを教えてくれるんだ。」
ワットポッチャイからの帰り道、ワッセナーは嬉しげに言った。なるほど、お寺はお参りするだけじゃなくて、よい子の相談窓口にもなってくれるのね。
ふと、考えた。これはなかなかいいアイデアではないのか。親にも先生にも友達にも相談できない悩み事を、お寺のお坊さんに話して相談に乗ってもらうというのは素晴らしいではないか。子どもの話を聞き、世の中とはこういうものだ、人間とはこういうものだと、道徳やら社会の規範やらを説き、子ども達をよい方向に導く役割をお寺が担うというのは、まさにドンピシャリ、もってこいの場だと思う。
日本もこういうことをやってみてはどうか?今、日本の子ども達が抱える問題はとても多い。社会問題にもなっている「いじめ」や「キレる」などの解決窓口として地域の神社仏閣が少しは協力してもいいんじゃないだろうか。だいたいお寺は宗教法人なんだから税金も免除されているんだしね。読経代だとか戒名代だとか、普通の人ではどうも相場がわからないのをいいことに、結構な金額を取っているんじゃないかと勘ぐらざるを得ない項目だってあるし、優遇されている面が多々あるんじゃないの?。それならばもっと地域社会に貢献してほしいものだ。ワットポッチャイのお坊さんのように、世の悩める子ども達を救いの道へと導いてくれてもいいんじゃないか。ワッセナーの『マイティーチャー』を見習って、寺院や神社には是非何か活動をしてほしい。
ノーンカイにいた一週間余り、私はすっかり子ども達のお世話になった。というか、「ラオスー」と呼ばれながらも、子ども達からいろいろなことを学ばせてもらった。ノーンカイを去る日、駅までアリアンヌ三姉妹が見送りに来てくれた。アリアンヌの友達、パッカーとアーイも駆けつけてくれた。みんな、本当にコープクンカーッ(ありがとう)!!
列車がホームを離れていく。彼女らの姿が見えなくなるまでずっと手を振った。帰ってから写真送るよー。お世話になったから他にも何か送るね。何がいいかなぁ。バンコクに着くまで右手首に巻き付けられた紐を触りながら、そのことだけを考えていた。
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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学
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チャイチャーイ(caay चाय)はヒンディー語(およびウルドゥー語 ??? 等)で茶の意。狭義には、インド式に甘く煮出したミルクティーを指す。ロシア語、トルコ語でも茶を''チャイ''という。インドでの紅茶の習慣はイギリス植民地時代に、イギリス人が中 亜細亜ジア【2007/05/24 11:35】
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