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中国放浪回顧録 |
中国放浪回顧録 その12
【えせ添乗員日記 蘭州編②】
炳霊寺へ行けないとなると、今までおとなしくこの強引なガイド嬢にしたがっていた日本のじじばば軍団も黙ってはいなかった。
「そんなの約束が違うじゃないの!」 「炳霊寺へ行くっていうから楽しみにしていたんだよ!!」 「そうだよ。蘭州では炳霊寺見学って、日本で聞いていたんだ!!」 「何とかして行ってちょうだいよ!!!」
おやおや、きっちり決まっているもんだと思っていた観光のコースって実はいい加減だったのね。どこの旅行会社か知らないが、日本のツーリズムも結構アバウトなもんだ。こんなにも連絡がとれていないとはさーすが中国!と感心している場合ではない。NOと言えないひ弱なお年寄りも約束違反となると豹変し、老年パワーがどどんと炸裂だ。みんなでガイドを取り囲み、掴みかからんばかりに責め続ける。これには四千年の歴史に培われた中国人もたじたじ。ガイド嬢はすっかり困り切った顔で私に助けを求める。寺への船が出ないぶん、ここで一発私が助け船でも出すとするか。
「炳霊寺へは本当に行けないそうですよ。私も別の旅行社で問い合わせてみたんですけれど、行けないからって断られたんです。」
お客さん達に事情を話したのだが、老年パワーは反撃の手を緩めない。
「じゃあ、明日は何をするんです?」 「買い物なんていやですよ!」 「話が全然違うじゃないか!!」 「蘭州のCITSに文句言ってやる。帰国したら日本の旅行社にも抗議しなけりゃね!」
怒り心頭の彼らをまぁまぁとガイド嬢とともになだめ、何かいい考えないかなぁなどとなんで私が悩まなあかんのかわからんが、とにかくガイド嬢もお客さんもお互いが納得できる何かをひねり出さなければならない。ご一行様には
「船が出ないのに無理して行って、こんなところで事故にでも遭ったら大変ですからね。」
と言いきかせ、ガイド嬢には
「とにかく炳霊寺には行けないんだから、近場でおもしろそうな所へ連れて行ってあげたらどう?」
とこそこそ耳打ちし、蘭州の地図を広げてみた。劉家峡ダムがわりと近い所にあると気づき、ここに皆様をご案内してはどうかとアドバイス。
「んー、しかし、ここおもしろいですか。水ありませんかもしれません。」
ガイド嬢の懸念をよそにお年寄りたちは
「そこ、いいねえ。」 「炳霊寺へ行けないんだったらそこにでも連れて行ってほしいよ。」
と乗り気になった。しかし、ガイド嬢は不服そうに顔をゆがめた。
「ま、いいじゃないですか。おもしろくなくてもね、皆さん行けば納得しますよ。」 私は彼女の肩を軽く叩いた。 「そうですね。後で運転手と相談します。明日ダムへ行きます。しかし今日はこれから何をしますか。まだ買い物の店ありますね・・・・」 この期に及んでまだ提携先の店からコミッション獲得のノルマをこなそうとするのか、お嬢さん!これ以上お年寄りを怒らせたら、みんなあんたの言うこときかなくなるで。ギロリと突き刺さる視線を受けて、ガイド嬢はもう何も言わず、それじゃあこの後は自由行動&休憩ということに収まった。自由行動といってもお年寄りが知らない土地で個々に動けるわけがなく、結局みんなで固まって行動することになった。山を下り白塔山公園を出ると、そこはもう町に横たわるように流れている黄河が間近に見える所である。河には遊覧船も行き来している。
「あれに乗ってみましょうか。」
私のとっさの提案にお年寄りグループは大賛成。ガイド姉ちゃんはマイクロバスの運転手に船着き場で我々を待つよう指示してから、みんなを船に乗せてくれた。黄河をゆったりと滑る遊覧船に乗った日本人客たちは、すれ違う筏こぎのおじさんに手を振ったり、川辺の景色をカメラに収めたりして大はしゃぎ。この計画は意外と成功である。
船を降りてぶらぶら行くと小さな果物屋があった。季節の果物が店頭に並べられ、行き交う客を待っている。ご一行様は店の前で立ち止まった。
「うまそうだな。どれ、ひとつ買ってみるか。」
お年寄りたちはどれがいいかと品定め。ここでも私はつい口を出す。
「白蘭瓜(バイランクア)がありますよ。これって蘭州名物の果物なんです。」
私は手毬ぐらいの大きさの白っぽい瓜を手に取って、おじいさんたちに見せた。
「ふうん。日本じゃこんなのないねぇ。よし、買ってみよう。」
おじいさんが財布を開くと、またもやガイド嬢は抜け目なく、お客のFECとおのれの人民元を交換して果物屋の親父に渡した。
「これは何という果物ですか。」
ガイド嬢は私にきいた。
「白蘭瓜よ。あなた知らない?」 「知りません。初めて見ます。」 「蘭州じゃ有名な瓜。」
長春で育った彼女が知らないのも無理はない。だけどあんたもガイドなら覚えときなと心の中でつぶやいてやった。ガイド嬢は白蘭瓜を手にとってまじまじと見つめていた。
時はすでに夕方近くになっていた。明日は炳霊寺へは行けないが、買い物を兼ねた市内見学を避け、マイクロバスで劉家峡ダムくんだりまで行くことになったご一行様は、腑に落ちないながらも一応ご納得。これにて一件落着というわけで桜吹雪でも撒きたい気分。夕げの時間までホテルで休憩ということになり、なぜか私もご一行様のマイクロバスに乗っけてもらい、彼らの宿泊先である金城賓館まで同行した。
「いろいろ私らを助けてくれてありがとう。あなたも長いこと旅行して日本が懐かしいでしょ。ちょっと寄っていきなさいな。いい物があるよ。」
おばあさんから優しい言葉を頂戴し、遠慮もせずに私はお年寄りたちの部屋について行った。おじいさんおばあさんたちは部屋に入るとおのおののバッグを開け、夕飯前だというのに日本から持って来たお菓子や非常食を口に運んだ。
「あー、やっぱり日本の食べ物って落ち着くね。」 「中華料理もいいけどね、毎日続くと胃にもたれてさ。」
とか言いながら、おじいさんがグイッとあおったのはワンカップ大関だった。梅干し、味付け海苔、インスタントラーメン、インスタントみそ汁、永谷園のお茶漬け、柿の種、おかきにせんべい・・・・・ドラえもんのポケットのように次々いろいろな日本食品が出るわ出るわ。
「ほら、これどうぞ。持って行って。中華料理に飽きたらあんたもお食べなさい。」
ご一行様は自分たちの食料を分け与えてくださり、久しく日本の味を忘れていた私は思わずじーんと胸が熱くなった。
夕食も皆様と一緒だった。ガイド嬢が私を誘ってくれたのである。ホテルのレストランでの食事だったが、円卓についたお年寄りグループの隣でガイド嬢と運転手と私3人でテーブルを囲んだ。
「今日は助けていたたきましたね。どうもありがとございます。日本人のお客様、難しいですね。でも、いい勉強です。」
そうそう、がんばってくだされよ。いろいろな日本のお客さんのガイドや通訳をして優秀な添乗員になっておくれ。それにしても中国でツアー客になってガイドに従うのも大変であれば、日本人客を案内するのもかなり大変なのね。おっと、エラそうに言ってしもうたが、ご一行様からは日本食をめぐんでもらい、ガイドと運転手とともに経費で落ちる晩ご飯をご馳走になって、ちょいといい思いをしてしまった。しかも中国側からも日本側からも感謝され、ふむ我ながらなかなかいいことをした。お役に立てたじゃないですか。めでたし、めでたし。
しかし、翌日本当にご一行様が劉家峡ダムに行ったかどうか確認はしていません。あしからず。
(1988年7月)
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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学
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たたきたたきとは、主に魚を料理するときの調理法で、一般的には2つの大きく異なった調理法を指す。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- Article- History License:GFDL 日本食っていいね♪【2007/10/02 06:04】
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