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新彊野宴(シンチャンバンケット)
【僕の進むべき道】 その6
ホテルに戻って僕は地図を持ち、男子の部屋を訪れた。
「どうもどうも、わざわざありがとう。さ、どうぞ、お入りなさいな。」
男性はドアを大きく開け、招き入れる手つきをした。本当はこれからシャワーを浴びて汗を落としたかったんだけど、少しだけならという思いで部屋に入った。
「ほうら、こういうの、どうです。」
男性は備え付けの陶器のマグカップにお湯を注いで差し出した。中にはティーパックが入っている。
「中国のお茶もいいけど、ホッとしたい時はメイドインジャパンがやっぱりいいでしょう。」
そのティーパックは日本茶だった。
「すみません、いただきます。」
椅子に腰をかけお茶をいただいた。二口ほど飲んでから持ってきた地図を男性に渡した。
「いやァ、すみませんねぇ。ありがとう。」
男性は早速老眼鏡をかけ、地図をじっくりと見た。
「これはずいぶん丁寧に書き込みしてありますね。いいんですかな、いただいても。」
男性は鋭く頭を上げた。僕がうなずくと
「えーっと、失礼、お名前をまだ伺ってませんでしたな。」 「戸田といいます。」 「戸田さんね。えー、私はもう名刺など持っとらんからしょうがないですがね、ウリュウといいます。‘瓜’に‘生まれる’と書いて瓜生です。」 「瓜生さん・・・」 「はい、そうです。それにしても戸田さんが書き込みなすったこの地図、ガイドブックの地図よりも詳しいんじゃないですか。私も一応ね、地球のなんとかっていう指南書を持って来たんだが、どうも距離感とかねえ、つかみづらくてねえ。」
瓜生さんは僕の地図を丁寧に見ては感心している。地図は現地調達だが、今まで行った店やら郵便局などのインフラなどを赤で印を入れ、書かれてなかったことも多く記入していったので、かなり詳細になっているのは確かだ。
「はあ~、こりゃあ助かる。」
瓜生さんがあまりにも感心して地図に見入っているので、こっちもつい言ってしまった。
「よろしかったら参考までに他の町の地図も差し上げましょうか。あとウルムチ、トルファン、ホータンのがありますけど。」
瓜生さんはゆっくりと顔を上げ、少し下にずれた眼鏡を上に押し戻しながら優しい口調で言った。
「いえいえ、これ1枚でじゅうぶんですよ。この地図だってこんなに詳しく仕上げてあるからいただくのが申し訳ないくらいだ。戸田さん、あなたが今までどこをどういうふうに旅行されていたか知らないが、こういう地図は戸田さんの足跡でもあるでしょう。あなたが見知らぬ町で、見知らぬ土地で生きていた証拠だ。どうかその証しを大切にして日本にお帰りなさい。」
なんだか急に瓜生さんが仏様か何かに思えた。
「はあ、でも実は僕、旅をしても結局何が得られたのかわからなかったんです。僕と同じようにこの宿にたむろしていた仲間はちゃんと自分の目標を見つけて、それぞれ帰国していきました。僕だけ置いてけぼりを食らったみたいで・・・それならいっそ、こんな時間つぶしみたいな旅にけりつけて、日本に戻って就職活動でもしようかなあ、なんて思いまして。」
瓜生さんはしばらく笑みをたたえたままじっと僕を見つめていた。
「だからいいんです。地図は日本に帰っても役に立つっていう代物でもないし・・・」
沈黙が怖くて話を続けたが、瓜生さんが急に遮った。
「戸田さん、あなたはそう思っているかもしれないが、人生にね、役に立たないものや無駄なものなどないんだよ。自分がしてきたことにはね。私は退職するまで図面をかく仕事をしてきたんだが、若い頃はね、ちょうどあなたくらいの頃だねぇ、一本の線を引くのにもずいぶん迷いがあったし、失敗もした。だけどその迷いや失敗があってこそ、将来いい図面がかけるようになったんですなァ。ですからねえ、今はこんな地図、役に立つもんかなんて思っていても、将来これがあなたの支えになるやもしれない。勿論実際にはまたこの地図で同じ町を訪ねるってことはないかもしれないが、ずっと後になってこれが精神的な支えにねぇ、なってくるかもしれないですよ。」
瓜生さんの口元の皺が口を動かす度にやわらかくしなった。
「それにね、戸田さん、今あなた、何か迷いがある状態でしょう。こんな時に慌てて日本に帰っても結果は同じじゃないですか。自分の志がはっきり定まらないまま焦ってもダメです。急がば回れ。折角日本を離れ、遙かこんな所まで来たんだ。もう少しあがいて、いろんなものを見てみたらどうです。人は人、自分は自分だ。物差しは一人一人違うんです。」 「そうでしょうか。」 「うん、心配しなさんな。戸田さんのように今の若い人は幸せだ。私が二十歳の頃は昭和20年代から30年代に移る頃だったからね、そう、ちょうど日本が高度成長期に差しかかった時分で、皆が皆働け働け、他の国に追いつけそらそらって時代でしたから、余裕なんてとてもとても。旅行なんて、ましてや海外旅行、海外放浪なんか夢のまた夢でした。それが今ようやく、この年になって実現しました。戸田さんは旅行がしたいと思った時期に願いが叶ってるでしょう。だからね、この時をね、どうか大切になさい。」
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【僕の進むべき道】 その5
横に立っていた服務員が僕の肩をつついた。
「この人、何言ってんのか全然わからないのよ。通訳してくれない?」
通訳と言われても、僕だって中国語がペラペラな訳じゃない。大学の第二外国語で培った知識と、旅で覚えた場当たり的な中国語をなんとか操っているだけなんだが。僕も少し戸惑った。しかし、そんなことはお構いなしに男性は言った。
「夕方の飛行機でカシュガルに着いたんですよ。ホテルを探していたらウイグルの人に馬に乗せられてここに連れて来られたんです。はははははは!やっぱり日本語は全然通じませんなあ、あははははははは!」
でかい声だ。男性の笑い声はロビー中に響いた。
「あのう・・・チェックインされたいんですよね。」 「そうなんです。シングルに泊まりたいと今言ったんだが、どうもこれがうまく伝わらなくてね。」 「それでしたら、僕が言いましょう。」 「できればバスタブのついた部屋がいいんだが。」
僕は男性の希望を服務員に伝えると、受付嬢は205号室の鍵をよこした。
「1泊70元だそうです。何泊されますか。」
服務員の質問を通訳した。
「この町は見所がありますかねえ。」
男性は僕を見上げた。
「ええ、郊外に遺跡もあるし、町も賑やかで面白いですよ。」 「じゃあ、とりあえず2泊しようかな。えーと、財布、財布と・・・」
男性は2泊分の料金を受付に並べた。
「お荷物運びましょうか。」 「いやあ、荷物なんかそんなにないから大丈夫。205号室ね。2階なら階段で行こうか。」
男性は床に置いていた茶色いショルダーバッグをかついだ。そして
「やぁ、どうもありがとう。お礼に一緒に夕食でも如何かな。」
と、かぶっていた緑色の野球帽を脱いだ。夕飯なら少し前に食べたばかりだ。しかし、なんだかこの人のことが気がかりだった。チェックインもろくにできないなら、レストランで注文するのも大変だろう。つき合ってあげるのが人情ってもんだ。
「じゃあ、軽くなら・・・」 「よかった。私ももう年寄りですからね、沢山は食べられないんです。お供していただけますかな。それじゃあ、ここで待っててくださいよ。荷物を置いたら下りて行きますんで。」
男性はひょいひょいと階段を上って姿を消し、まもなくまたひょいひょいと階段を下りてきた。
「どこかいいところはありますかな。」
男性は嬉しそうに聞いた。下がった目尻の先に幾筋か皺が広がった。とりあえずはいつも行ってる親父の店に案内することにした。
「いやぁ、さすが西域だなあ。北京時間で9時だというのにこんなに明るい。まるで昼間だなぁ。ははははははは!」
男性はまた豪快に笑った。店に着き、扉をくぐると親父が、おう、来たかというふうな顔をし、
「今日はもう拌麺(バンミエン)しか残ってないぞ。」
とエプロンの肩ひもを引っ張りながら言った。
「じゃ、拌麺(バンミエン)お願いします。二人分ね。あ、どっちも少ない目にしといてください。」 「なに!?男の少食はいかんな。まあ、しゃあない、勘弁してやる。」
親父はニヤッと笑って厨房に引っ込み、入れ替わりにいつもの少年がチャイを持ってきて僕らのテーブルに置いた。
「いやあ、君は中国語が上手いんだねえ。さっきは助けてもらってありがとう。本当に助かりましたよ。はっはははははは!」
男性は野球帽を取り、テーブルの脇に置いた。
「いえ、簡単な会話しかできないんですけどね。それより、あのう、お一人でこちらに?」 「ああ、ええ、そうなんです。初めての海外旅行でしてね。この年で一人で外国に出るなんてって家族は皆心配したんですがね、シルクロードに来るのが若い頃からの夢だったんでねぇ。反対を押し切って来てしまいましたよ、ははははははは!」
男性はズボンのポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭った。
「あのう、失礼ですが、おいくつでいらっしゃるんですか。」 「この春で喜寿を迎えました。実は今回の旅行も息子や娘達のお祝いでしてね。喜寿のお祝いに何がいいかと子ども達に聞かれたんだが、この年で欲しいものなど何もないですからねぇ。しかし、何もお祝いしないわけにはいかんと言われましてな、それならシルクロード一人旅がいいとかねてからの希望を言ったんですよ。そんなもんで旅費はほとんど子ども達からのプレゼントでして。その代わり、このお祝いをしてもらうのには時間がかかりました。今言いましたように当初は反対されましたからねぇ。」 「でも、いい喜寿のお祝いですね。」 「いやぁ、しかしなかなか大変なもんですなぁ。シルクロードに入ってまだ3日目なんですが、日本とはずいぶん勝手が違いますなぁ。はははははははは!中国は想像以上に手強いですな。」
確かに。これは誰もが感じる率直な感想だ。
「すまんのですがお助けついでに、この町の見所なんか後で教えてもらえませんか。明日から回ってみようと思います。こんなじいさんに会ったのが君も運の尽きかな、ははははははは!」
男性は本当によく笑う。
「そんな運の尽きだなんて。それくらいお安いご用です。後で地図を差し上げます。お部屋までお持ちしますよ。」 「地図は君も使うでしょう?いいんですか。」 「ええ、実は僕、あさってくらいにここを出て日本に帰ろうかと思ってるんで。」 「おお、そうですか。」
拌麺(バンミエン)が運ばれてきた。
「ほほう、そばと具が別々になってるんですね。つけ麺みたいだなぁ。」
男性は子どものようにはしゃぎながら拌麺に箸をつけ、うん、なかなかイケる、美味い、を連発しながらペロッと平らげた。
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