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新彊野宴(シンチャンバンケット)
【僕の進むべき道】 その4
気がつくと職人街に来ていた。何度となく訪れたこの通りだが、初めてこの場所に立ったような感じがした。目の前には靴屋があった。一人のウイグル職人が店の表に座って靴を作っていた。ミシンで器用に布を縫い合わせている。僕はその一針一針をじっと見つめた。
「そんなに珍しいか。」
職人は顔を上げて聞いた。
「あ、すみません。あのう、あなたは何年くらいこの仕事を?」
僕は答をごまかすよう逆に質問した。
「そうさなあ、23年、いや25年になるか・・・」
職人の顎髭は首の付け根まで伸びていて白髪が混じっていた。頭には緑地にイスラム模様が施されたウイグル帽が載っている。靴底を縫い終えると、彼は胸のポケットからタバコを取り出しぷかぷか吸い始めた。
「お前はヤポンルックか。それともホンコンか。」
ウイグルの靴職人はおもむろに聞いた。
「ヤポンルックですよ。」 「ふん、そうか。ヤポンの製品は質がいいよな。こっちじゃ高級品だ。ナショナル、三菱、三洋、東芝・・・みんながヤポンのを欲しがる。なあ、靴もヤポンのは品質がいいんだろうな。」 「うーん、そうですね。海外では日本製は評価が高いみたいですね。よくわからないけど、靴も質はいい方だと思いますよ。」 「ヤポンはどうやって質のいい靴を作ってるんだ?使う材料が上等なのか。職人の腕がいいのか。」
僕は答えに詰まった。何と答えるべきかしばらく考えてからようやく
「お客さんの要求が厳しいんです。」 と言った。靴職人はフンと鼻を鳴らし、タバコを地面にぽとりと落とした。脇に置いていた袋の中から新しい布を取り出しミシンの台に置き、またカタカタミシンを動かして縫い始めた。くるりと靴底を一周縫うと、糸を引っ張りいったん切った。
「なるほど。客が厳しいってのは結構だ。でもそれだけじゃないだろう。腕がいいんだろ、作る奴の。一度見てみたいな、ヤポンルックの靴職人をよ。」
彼は独り言のようにつぶやき、またミシンを動かした。
「どうも。ハイルホッシ。」
さよならの挨拶をして、僕はその靴屋を去ろうとした。
「おい、ヤポンルック!質は大切だぞ。質を落としたら信用されなくなる。」
靴職人は何故かそんなことを言った。そして一瞬優しい笑みを浮かべ、また仕事に取りかかった。その言葉は僕の胸に鋭く突き刺さった。
適当に晩飯を済ませ部屋に戻ってくると、人はほとんど出払っていた。向こうのベッドに一人パキスタン人が寝ており、僕の隣の隣のベッドには足の裏がドロドロに汚れた西洋人がうつ伏せになって爆睡していた。僕もベッドに横になり天井を見上げてフーッと長い溜息をついた。先ほどの靴職人の言葉が頭に蘇ってきた。彼の言ったことはどうも意味深長に思えた。あれは日本の製品全般について言ったのか、それとも日本製の靴について言ったのか。いや、僕に対して放った言葉だったのかもしれぬ。僕の顔には迷いの表情がはっきりと見て取れたのかもしれない。僕は何かを考え、決めなければならない時期に来ているのかもしれない。
そうだ、僕はヤポンルックだ。日本に生まれ日本に育った。こんな自分が日本を初めて飛びだし、初めて外国の大地を踏んだ。同じアジアの国でも外の世界は日本とずいぶん違っていた。インドも、パキスタンも、ネパールも、ここ中国も。大きなカルチャーショックを受けた。いや、カルチャーショックなどという生易しいものではない。雷に打たれたような強烈なショックだった。
人はどこの国の人でも同じだ。朝起きてトイレに行き、朝飯を食ってから活動する。夜になると眠りにつく。嬉しいとき楽しいときには笑い、悲しいときは泣く。友だちといるときは心が和み、独りぼっちになると寂しい。これは万国共通のことだ。
だが、文化は国によって違う。習慣も細かく異なる。僕は今回の旅で、人が持つ共通点とその人が作ってきた文化の違いを強く感じた。同じことと違うこと―ここから何か導き出せないか。仲間達から後れを取ってしまったが、遅まきながら自分の進むべき道を探らなければ。
焦る気持ちと落ち着いてじっくり考えた方がいいという指令が、頭の中で綱引きをしている。ふうう、まいった。しきり直すように寝返りを打ったときだった。服務員の女の子が急ぎ足で部屋に入ってきた。一直線に僕の方へ向かって来るや
「すみません、フロントまでちょっと来てください。助けてくれませんか。」
息を切らし、早口で言った。僕は飛び起きた。 「どうしたんですか?」 「日本のお客さんが来たんです。でも、何を言ってるのかさっぱりわからなくて。さあ、早く!」
服務員は僕のTシャツの裾を引っ張った。一緒に1階フロントに下りていくと、そこには年配の日本人男性が立っていた。受付を挟んで二人の服務員の女性が困惑の表情を浮かべている。
「あのう・・・どうしたんですか。」
僕は恐る恐るその男性に聞いた。
「ああ、日本の方ですか。こりゃあ助かった。」
男性は緊張が解けたように表情がほころんだ。
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【僕の進むべき道】 その3
眩しい光が差し込んできて思わず身を起こした。いつの間にか夜が明け外は明るくなっていた。いけない、寝過ごしたか。慌てて時計を見る。時刻は11時35分を指していた。コージさんのベッドを見ると、そこに彼はいなかった。が、コージさんのリュックはベッドの側に立て掛けてある。よかった、まだ出発してなかった。夕べ、明け方まで二人で飲んでいたから寝坊するところだった。僕はフーッと長い息を吐いた。その時、トイレのドアが開き、コージさんが出て来た。
「おう、おはよう。名残惜しくなるから戸田君が寝てるすきに出ようと思ったのにな。」
コージさんはバンダナを頭に巻きながら言った。
「そんな水臭いこと言わないでくださいよ。見送りくらいさせてください。」 「そりゃやばいな。泣いちゃうかもな。」
コージさんは泣き真似をしておどけた。
「何言ってんですか!日本で奥さんが待ってますよ。」 「あー、やめて。照れ臭っ!」 「『幸せの黄色いハンカチ』みたいに家の周りにハンカチ結んであるかもしれませんよ。」 「お~、そうかもしれんなぁ。本当にそうだったら嬉しいけどね。まあ、現実は『ああ、帰ってきたの』ってなもんだろう。」 「ちゃんとお土産買ったんですか、奥さんに。」 「ははははははー!この身がが戻ればそれでいいんじゃない?」
コージさんはすましてポーズをつけた。こんなことを言っといて、きっと何かお土産を用意しているんだろう。僕は直感でそう思った。
「そろそろ行くよ。」
コージさんはリュックを背負った。僕も1階まで一緒について行った。ロビーでチェックアウトを済ませたコージさんは僕の方を振り返った。
「戸田君、ありがとう。ここでいいよ。見送られるのはマジ苦手なんだ。」
コージさんは左手首に巻いていたオレンジの紐をほどき、僕に寄越した。
「これ、お守り。ラサで坊さんにもらったんだ。達者でな。」
所々茶色に汚れたその紐はコージさんの苦闘の旅を物語っていた。これなら効き目がありそうだ。
「夕べはつき合ってくれてありがとな。嬉しかったよ、戸田君と飲み明かせて。本当は妻のことなんて話すつもりはなかったんだ。だけど、何でだろうな、戸田君の姿を見たら何もかも白状したくなっちゃって。夕べ言ったことは他の誰にも話してないんだ。戸田君なら話しても受け入れてもらえそうでさ。だって、ナンセンスだろ、俺の旅行事情なんてさ。ホント、聞いてくれてサンキューな。」
コージさんの目は真剣だった。僕のことをそんな風に思ってくれていたとは。お礼を言わなくちゃならないのはこっちの方だ。
「いえ、こんな僕に打ち明けてもらえたなんてありがたいっす。」
今日もカシュガルの午後は暑い。太陽が強くオアシスの町を照らし、汗を流させ、元気を奪っていく。ホテルの前の噴水広場にはいつものようにパキスタンの男性がたむろしているし、木陰にも座り込んでいる。木陰の影はくっきり黒く、日向のアスファルトから陽炎のような揺らめきが湧き出ている。
コージさんはじゃあと、右手を差し出した。僕はコージさんの手を両手でつかんだ。
「気をつけて。」 「戸田君もいい旅を。」
コージさんは手を振って爽やかな微笑みを残し、ホテルを出て行った。リュックを背負ったコージさんの背中が徐々に小さくなる。表通りに出たリュックは右に曲がり視界から消えた。コージさんが去ってしまった。
しばらく僕はロビーに立ちつくしていた。そしてそのままロビーのソファーによろよろと歩み寄り、ドサッと身を沈めた。ただぼんやりと力無く外を眺める僕にパキスタン人が何か話しかけてきた。でもいったい何を言ってるのか、僕の耳にはその言葉が入ってこなかった。やがてパキスタン人は諦めて僕のそばから離れていった。 何時間くらいソファーに座っていただろうか、気がつくと辺りが薄暗くなり始めていた。僕はようやく立ち上がり、部屋に向かってふらふらと歩き出した。フロントの前を通った時だった。
「あなたのお友達、行っちゃったわね。あなたはここに残るの?」
服務員の女の子が訊ねた。少し笑みを浮かべ、彼女は何気なく聞いたようだった。しかし僕の頭の中に“ここに残る”という言葉が激しく引っ掛かった。残る・・・そうだ。僕だけ砂漠の町に取り残されたような気がした。急に孤独感に襲われ怖くなってガクガク膝が震えた。僕が服務員を見つめたまま何も言わないので、変だと思ったのだろう、
「どうしたの?何かあったの?」
心配そうに彼女は聞いた。
「い、いや、何でもないよ。」
僕は無理に笑顔を作った。が、服務員はまだ怪訝そうにこちらを見ている。僕は彼女に膝の震えを気づかれぬよう咄嗟に急ぎ足で歩いた。気がついたら表通りに出ていて、町に向かって歩いていた。
池上君は学校に戻り夢に向かって突き進んでいく。島本君はウイグル語の習得に頑張っている。コージさんは新しい商売を展開するべく奥さんの元に戻った。僕と一緒にチニバーのドミトリーでダラダラ暮らし、ウイグル飯を食って酒を飲み、とりとめのない旅の話をしたいた仲間がそれぞれ巣立っていった。自分だけ置いてけぼりを食らったみたいだった。オアシスの貧乏宿で皆ただただアンニュイな気分に浸っているだけだと思っていたが、実は自分以外は確固とした志があった。本当に糸の切れた凧だったのは僕だけだ。いつまでも巣立てずに空を見上げている情けない自分が客観的に絵になって映った。それは一人奈落の底に突き落とされた恐怖に包まれた絵だった。
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