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青春の思い出?若気の至り?
中国大陸をほっつき歩いた旅記録です。
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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【語学の天才】 その4

 細かいひびのささくれが蔦のようにはびこっているもえぎ色の壁は、建物の年季を感じさせた。窓枠の外側に設えられた粗い鉄格子は錆びていて、剥けた部分が小さなトゲとなって尖っていた。

「三階です。いるかなあ、博士。」

 島本君が先に立って階段を上る。僕もその後ろについて階段を駆け上がった。

「ここなんですけどね。」

 三階の奥から二番目の部屋の扉の前で島本君は立ち止まった。コンコンとノックをすると、

「はぁ~い。」

と間延びした返事の後に“等一下(ドンイーシア)”と中国語が聞こえた。間もなく扉が開き、中から中肉中背で黒縁の眼鏡をかけた男が現れた。鼻の下と顎に髭を生やしていた。顎の髭は首の中ほどまで伸びている。そして髭にも頭髪にも少し白髪が混じっていた。

「やあ、島本君か!元気だった?」
「ええ、今ちょっとよろしいでしょうか。友達を連れてきたんですけど。」

 島本君は僕を紹介した。

「いいよ、どうぞ。中に入って。昨日の晩にイーニンから帰ってきたばかりで部屋は片づいてないけど。」

 博士は気さくに僕らを招き入れてくれた。部屋の真ん中には絨毯が敷かれ、ウイグルの民族衣装の写真が壁じゅうに掛けられていた。本棚には島本君の部屋以上に本が並んでいる。

「さ、こちらへどうぞ。」

 勧められて座ったところは絨毯の上だった。靴を脱いであぐらをかいて座るらしい。テーブルは日本のちゃぶ台の幅広版で丈が低い。テーブルの脇には旅から戻ってきたばかりのリュックが立て掛けてあった。

「座りにくい?部屋をウイグル式にしちゃったもんでね。」

 博士は気を遣ってくれたが、大丈夫ですと答え、久々にあぐら座りをした。

「お忙しいところすみません。島本君以上に凄い人がいるって聞いて、どういう方だかお訪ねしたくて。」

 僕は単刀直入に言った。

「え!そうなの」

 三谷博士は意外そうな顔をしてチャイを運んできた。

「僕はね、単に物好きなだけ。マイペースなだけ。」

 博士は人の良さそうな笑みを浮かべ、僕らのカップにチャイを注ぎ入れた。

「三谷さんはウイグル文化の研究者なんです。」

 島本君が言うと

「いや、単なるウイグル好きってとこかな。島本君も直にこうなるよ。」

と、博士は言い返した。

「さ、どうぞ。こんなもんでもつまみながら。」
 博士は小皿に干しぶどうをザラザラと入れた。新彊名産の黄緑色のぶどうだ。細長い形から馬奶子(マーナイズ)葡萄と呼ばれているあれだ。

 僕らはチャイを飲み、干しぶどうを食べながら旅の話などをした。三谷博士は気さくなおじさんという感じで、ちょっと話したくらいではどこがどういうふうに凄いのかよくわからなかった。が、さすがウイグル文化の研究者、ウイグルのことについて尋ねると、立て板に水のごとく喋り始めた。服装や生活習慣、礼儀作法、そして言葉や食べ物のことに至るまで、まるで水を得た魚のように目を輝かせ語り続けた。僕も島本君も博士の話に聞き入り、気がついたら午後3時になっていた。

「いやあ、ごめん。つい喋り過ぎちゃったね。こういう話になるとつい力が入っちゃって。」

 博士は頭を掻き、

「そう言えばもう昼時過ぎたな。今から昼飯行こうか。おじいの店ならまだ開いてるだろう。」

と僕らを誘った。

“おじいの店”は学院の正門を出て右に曲がり、約500メートル歩いたところにあった。店に着くまでの間、博士は何人かのウイグル人に声をかけられた。ある人とは握手を交わし、またある人とは抱き合って挨拶をした。博士はウイグルの間で有名人であることがわかった。

“おじいの店”に入ると、主人のおじいだと思われる痩せた老人が、何やら嬉しそうに駆け寄り、博士と抱き合った。二人は物凄い勢いで話し出し、親しげにまた抱擁した。こっちはウイグル語の会話など全然わからないが、おそらく久しぶりに会ったので喜んでいるのだろう。博士はこの店の常連客なのだな。白い顎髭をたくわえたおじいと博士は嬉しげに語らい、なんだか親子のようにも見えた。

 まもなく僕らのところに注文した拌麺(バンミエン)が運ばれてきたが、ナンもおまけに登場した。

「サービスしてくれたよ。」

 博士は親指を立てて片目をつぶると、そのナンをちぎって頬ばった。

「いやぁ、さすが三谷博士、ウイグル語すごいですね。」

 僕もナンに手を伸ばしながら言った。

「あー、その博士っていうのやめてくれる?島本君が教えたんだろ。」

 三谷氏は島本君を軽く睨んだ。

「だって三谷さん本当に博士じゃないですか。ハーバードでドクター取られたじゃないですか。」

 島本君は拌麺を混ぜながら言い返す。

「それはアメリカ時代の話。ここではそんな昔のことなんて関係ないよ。それにこの世にドクター取った人間なんて山といるじゃないか。いちいちそういう人間を博士と呼ばなくてもいいんじゃないの。」
「いえいえ、僕にとっては三谷さんは博士ですよ。他の人がどう言おうともね。」

 島本君は麺を啜った。

「あのう、ウイグル語って響きが快調ですね。なんかカッコイイな。」

 僕が言うと、三谷博士はパッと顔を輝かせた。

「そうだろ。巻き舌音も入ってて、イントネーション効かせて抑揚つけたらイキな言語だよ。」
「でも、難しそうなんですけど。」
「うん、確かに。だけど日本人には勉強しやすいかもな。文法なんか意外と似てるんだ。」
「へえ、そうなんですか。」
「助詞に当たる語がウイグル語にもあったりしてね。比較しながら勉強すると面白いよ。」
 そうなのか。日本の教育方法では英語を学習しても満足に話せない。中学から大学まで10年ほど英語を習ったと言ったって、それでペラペラ話せるわけじゃない。話せて聞けるようにするためにはいったいどうすればいいのか。これが長らくの疑問だった。やっぱりモチベーションなんだろうか。僕は三谷博士にそれを問うた。
「そうだね。確かにモチベーションは大事だね。それと、楽しんで勉強すること。面白がってやると続くんだ。好きなことって長続きするだろ。外国語の習得は、他のこともきっとそうなんだと思うけど、そいつを好きになってつき合っていくことじゃないかな。」

 博士は顎髭を撫でながら言った。

「そうですね、本当にそう思います。語学との付き合いはイヤになったらおしまいですね。」

 島本君も頷いた。

「そう。ある意味、恋人との付き合いに似てるかもしれん。」

 博士はははっと笑った。

「でも、たいていの人間はイヤになるじゃないですか。僕なんかもそうだけど、学校で英語勉強したってつまらないというか、興味持てないっていうか。」

 僕は食べるのをやめ、ちょっと反論した。

「うーん、そうだね。学校の語学教育は皆に平等に与えられるものだからね。受け身になっちゃうんだろうな。話せるようになりたい、聞き取れるようになりたいと本人が思わなければうまくなってはいかないだろうなぁ。」
「コツってあるんでしょうか。うまくなるような。」

 三谷博士の説明にまだ物足りなさを感じ更に質問する。博士は5秒ほど考えてから僕をじっと見つめたまま話し始めた。

「そうだなあ、コツはないと思うよ。その人次第だろうな。その人その人がマスターするための自分なりのコツを獲得していくんじゃない?昔、僕が高校生くらいの時だったかなあ、インベーダーゲームっていうのが流行っててね、夢中になった。画面に現れるインベーダーを打ち落としていくっていう単純な遊びなんだけどね、どれだけたくさん確実に打つかってぇのを友達と競い合った。インベーダーをやっつけていくのが、その当時の僕らにとっては快感だったんだ。今ならもっと精巧で複雑で、もっと面白いゲームがいろいろあるけどさ、その頃の僕らにとってはインベーダーゲームは一番楽しめるゲームだったんだ。要は語学もゲーム感覚でやるといいんじゃないかな。このフレーズを言えるようになりたい、で、それを攻略してクリアしたら次の段階に進む、それも攻略したらまた次にっていうように挑戦していけば、上達への近道になると思うな。そのためには何度も練習してみる。情熱を持って、負けん気出して取り組むことだろうね。絶対に話せるようになるんだっていう目標を掲げて一つ一つ進んでいくことが大事なんじゃないかな。」
「じゃあ、三谷さんもそうやってウイグル語を?」
「うん、そうだね。例えばこの店の老板といろんな事を話せるようになりたいって食らいついてね。」
「僕もそう思います。積み重ねですからね、語学は。」

 島本君も深く頷いた。語学の天才二人が口を揃えてそういうなら、語学のマスターには早道はないってことだ。天才は生まれながらにして天才なのではなく、やはり努力が必要だということか。エジソンもそう言ってたが、何事も心がけ次第ってことがはっきりした


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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【語学の天才】 その3

 島本君の歌声はきれいだ。人は見かけによらぬものと言うが、本当にそうだ。彼がこんなに歌が上手い人だったとは。驚きでいっぱいになりながらも、島本君の歌声に聴き入った。ドイツ語の発音も滑らかで、巻き舌の音も強すぎず聞き心地のいい軽やかさだ。リズムもよく、メロディーも滑らかで歌いこなした巧さが感じられた。横目でチラリとインゲを見ると、彼女も島本君の歌にうっとりと聴き惚れている。顎の下で両手の指を互いに絡ませ、半分目を閉じ、口元を緩ませ微笑んでいる。島本君が歌い終えると、インゲも僕も思いきり拍手した。

「すっごいね!こんなに歌が上手いとは知らなかったよ。びっくりした!」

 僕は率直に言った。

「いやあ、そんなに誉めないでください。」

 島本君は照れたが、インゲは

「ね、ね、上手いでしょ。留学生にしとくのもったいないでしょ。リュウはドイツ語もかなり出来るのよ。」

と、嬉しそうに島本君の肩をぴしゃぴしゃ叩いた。

「本当にすごいね!中国語に英語、ドイツ語、それにウイグル語もやろうってんだろ。語学の才能があるんだねぇ。」

 僕は心底感心した。

「他にも『野ばら』だって歌えるのよ。まるでウィーン少年合唱団出身みたいなの!」

 インゲは黒いスカートの裾をふわふわ揺らしながら言った。

「誉めてくれるのは有り難いんだけどさ、もしかしてそろそろ練習の時間じゃないの?」

 島本君は自分の腕時計を見ながらインゲに言った。

「あ!ほんと!いけない!こんな時間だわ。行かなきゃ。リュウ、また今度ローレライ歌ってね。ヒトシ、それじゃあごゆっくり!」

 インゲはスカートの裾をふわりと翻して立ち上がり、手を振って小走りに校舎のほうへ去っていった。

「彼女、二胡習ってるんですよ。もうすぐそのレッスンで。」

 島本君が説明してくれた。

「二胡って弦楽器の?」
「そうです、中国楽器のね。とりあえず、二胡習ってその後、ウイグル楽器にも挑戦するって言ってますけどね。」
「島本君といい、インゲといい、アクティブなんだね。」
「うーん、僕はアクティブっていうよりどっちかって言うと暗い方だと思うんですけど。ネアカよりネクラかな。」

 島本君はポリポリ頭を掻きつつ首をかしげた。いや、ネアカとかネクラの問題じゃなく、島本君の18歳とは思えぬ大人びた冷静さや落ち着きに出会った頃から驚いていたのだ。ひょっとして僕より年上なんじゃないか、もしかしたら30歳、いや50歳を越えているんじゃないかと思えるほど精神的に成熟している。しかもこの語学力だ。僕の周りに島本君のような人は見当たらない。こんな人とは初めて会った。

「ドイツ語は独学?」
「うーん、まあそうですかね。イギリスにいた頃、父の親友が同僚のドイツ人だったんです。だからちょくちょくうちに遊びに来てたんですよ。僕にとってみればそのドイツ人は仲良しのおじさんで、一緒にキャッチボールしたりサッカーしたり遊んでくれたんです。時々ドイツ語も教えてくれて、それでかな、ドイツ語が身近に思えたんでしょうね、子どもの時から。」
「なるほど。だけど話せるようになるにはそれだけでは不十分だろ。」

 もう一歩踏み込んで聞いてみたくて探りを入れる。

「まあ、きっかけは父の親友でしたけど、その後はドイツ語の読みが楽しいなって思えたんですよ。英語よりドイツ語のほうが読みが簡単ですからね。基本の発音を覚えればあとはラクに読めちゃいますんで。」
「けどドイツ語って単語が妙に長ったらしくない?それに男性名詞とか女性名詞とかあったりして、難解に思えるんだけど。」
「それはそうなんですけど、コツさえつかめれば大丈夫ですよ。それに主語を言わなくても“誰が”の部分がわかっちゃうんで、かえって便利な言葉なんですよ、ドイツ語は。」
「へーえ・・・すごいなあ。話を聞いてると楽しんで言葉を勉強している感じだね。」
「う・・・ん、そうですねぇ、ゲーム感覚っていう部分もありますけどね。」
「そっかぁ、やっぱりすごいな島本君は。尊敬しちゃうよ。」
「あー、そんな尊敬だなんて・・・もっとすごい人は大勢いますよ。」
「島本君以上の人にはお目にかかったことないけどな。」
「いや・・・あ・・・もう帰ってきてるかな。ん・・・もしもすごい人がいたら、会ってみたいですか。」
「うん、そりゃあ是非。」
「じゃあ、今からちょっと行ってみますか。そのすごい人の所へ。」

 島本君は立ち上がり、運動場の向こう側に見える建物を指さした。僕は島本君の背中にくっつくような形で東屋を出た。すごい人っていったい誰のことだろう。
 僕らは運動場を突っ切って、くすんだもえぎ色に塗られた建物に向かって歩いた。

「三谷さんっていうんですけどね。」

 突然島本君が切り出した。

「特別教授っていう身分でこの学校に滞在してる人なんですが、面白いおじさんなんです。三谷さんは嫌がるんですが、僕は博士って呼んでるんです。それくらいいろんな事を超越してるんで。」

 島本君は意味ありげに笑った。へぇ、他にも日本人がこの学校にいるのか。

「夏休みの間イーニン周辺に行ってくるって言ってましたけど、確かもう帰ってきてるんじゃないかな。もし三谷さんがいなかったらごめんなさい。」
「いや、別にいいよ。」

と言いながらも、内心どんな人なのかと期待が膨らんだ。


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