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新彊野宴会(シンチャンバンケット) |
新彊野宴会(シンチャンバンケット)
【語学の天才】 その1
その後、駒田先生と新彊や中国の歴史の話で盛り上がり、結局そのまま先生の部屋で話し込んでしまった。夕飯もご馳走になり、夜も遅い時間となってバスがなくなってしまったのでタクシーで華僑賓館に戻った。先生からタクシー代として50元までいただいてしまい、至れり尽くせりで恐縮きわまりなかった。が、ありがたいのは事実だ。
部屋に戻ると、柳原さんと佐伯さんはまだ起きていた。
「戸田さん、お客さんよ。」
柳原さんが意味ありげに笑った。すると、大きな佐伯さんの後ろから誰かがパッと現れた。
「お久しぶりです。」 「あ、島本君じゃないか!」
島本君は頭をポリポリ掻きながら前に進み出た。
「市場で私らとお店お人とで揉めてたのね。そうしたら助けてくれて。」
佐伯さんが嬉しそうに島本君を指さした。
「いやぁ、助けただなんて。で、お姉様方とお話ししてたら戸田さんと同室だって言うじゃないですか。だからちょっとお邪魔してたんです。」 「いやあ、そっか。遅くなって悪かったね。待っててくれたんだろ。あ、もうちょっと早かったら池上君もいたんだけどね。今朝上海に飛んでったよ。」 「そうだったんですか。僕はきのうの午後ウルムチに戻ってきたんです。夏休みももう終わりにして、勉強モードに切り替えなきゃと思って・・・」 「相変わらず真面目だね、島本君は。」
僕ら4人は夜も更けたというのに、ドミトリーでまた話し込んでしまい、気がついたら東の空が明るくなっていた。
「すみません、すっかりお邪魔しちゃって。学校に戻ります。」
島本君は腰を上げたが、僕は引き留めた。
「朝飯、一緒にどう?」
徹夜をした僕らは何故か疲れもなく、外に繰り出して四方山話の延長戦をやった。いつものナンの店で朝食を取り、その後柳原さん達は南山牧場ツアーに申し込んだからとバタバタ去っていった。
「戸田さん、よかったら僕の大学見てみません?」
島本君の誘いを受け、バスに乗って烏魯木斉財経学院へ行くことになった。学院の門をくぐり中に入っていくと、キャンパスは意外と広く、一番奥の建物にたどり着くまでたっぷり30分はかかった。島本君が住んでいる寮は最も奥の建物の3階にあった。
「二人一部屋なんですけどね、ルームメートは9月にならなきゃ来ないらしいんで、それまで僕一人で占領できるんです。」
そう言って通してくれた部屋は天井が高く、二人で住むにはゆったりと余裕のある空間だった。木製の机が壁際に二つ並べて配置され、窓側に一つと部屋のど真ん中に一つベッドが置かれていた。本棚も机と反対側の壁に設置されていて、そこにはすでに本がぎっしり並んでいた。
「これ全部島本君の?」 「はい、まあ、そうです。持って来過ぎちゃって、ちょっと後悔してるんですけどね、ルームメイトの分が入らないかなあ。」
島本君は頭をポリポリ掻いてへへへと笑った。中国語とウイグル語の勉強のためにこの学校へ来たという島本君だが、本棚に整列している本を見るとそういう関係の書物の他にいろんな本があった。右の上段には日本文学、西洋文学など各種小説、中段にはビジネス関係の本や実用書、そして下の段には英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、ハングル、イタリア語、スペイン語など、いろいろな語学の本が並んでいた。カタルーニャ語の本なんてのもあった。
「これ、島本君、全部読んだの?」
僕は語学関係の本が並んでいる棚を指さして聞いた。
「全部は読んでいないですね。3分の2くらいかな、読んだのは。」 「語学全般に興味あるんだ!」 「ん・・・まあ、そうですね。」 「ウイグル語をやってみようって気になったのはどうして?」 「親父がシルクロードファンで、家にNHKの『シルクロード』のビデオやシルクロード関係の本なんかけっこうあって、時には親父が本を見ながら説明してくれたりとかして。それでいつかは、シルクロードに行ってみたいななんて、物心ついた時から思ってたんです。」 「なるほどねぇ。」 「あ、今お茶淹れますね。どうぞ、そっちの椅子に座ってください。」
島本君は碧螺春という中国の緑茶を淹れてくれた。
「で、ここでどれくらい勉強する予定?」 「そうですねえ、まずは2年ですね。それで足りないと感じたらもう1年でしょう。」 「この学校がウイグル語の勉強にはいいと?」 「いえ、本当はカシュガルの大学に行きたかったんですけど、いい先生はウルムチに集まってるっていう話だし。本もこっちの方が充実してるみたいだから、ま、しょうがないですね。カシュガルの方がウイグルのムードが漂ってるんだけど。」
確かにウルムチはウイグル族よりも漢人の方が目立っている感がある。新彊ウイグル自治区といいながらも、省都のウルムチでは、民族の比率としては漢族の方が多そうだ。
「そっか。じゃあ、ここでの勉強が終わったら?」
僕は碧螺春を一口飲んでから聞いた。
「うーん、どうするかはまだはっきり・・・もし予想してたよりもウイグル語ができたと思ったら、日本に帰るかもしれないし・・・どうしよっかな、ははっ、自分でもわかりかねますね。」
島本君はゴクンとお茶を飲み、フッと軽く息を出すと、
「ま、でも、やっと念願叶ってここに来られたんで、頑張らなきゃなんないですね。」
と微笑んだ。
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【旅の恋】 その8
ホリデーインホテルの10階に駒田先生の部屋はあった。さすがホリデーイン、僕らが泊まるようなドミトリーとは違い、アメニティーもちゃんと揃っていて、ベッドも洗面所も清潔だ。それでも先生は蛇口の取り付け方が甘いとか、カーテンレールが少し歪んでいるとか言って手厳しい。
駒田先生は日本からわざわざコーヒーメーカーを持って来ていた。
「コーヒーが好きなもんで、どうもこういうのがないと寂しくてね。」
と手際よくセットし、二人分のコーヒーを丁寧に淹れた。なんとも言えない香ばしいコーヒーの香がほわんと部屋を包んだ。久しぶりに嗅いだ高級感溢れる文明の香に、僕の鼻はじいんとしびれた。
駒田先生に淹れてもらったコーヒーを飲みながら、僕は今までのことをすべて話した。先生には包み隠さず話した方がいいような気がしたのだ。ヒサコさんに出会って一緒にウルムチ巡りをしたこと、彼女がチェックアウトする際に『私のことを聞かれても知らないと言って』と呟いたこと、柳原さんと佐伯さんからもヒサコさんの話が出たこと、ヒサコさんは柳原さんの雑記帳に住所を曖昧に書いていたこと、ドミトリーにチェックインしてきた男の子の日記に書かれていた内容について等、ありのままに話した。駒田先生は黙って聞いていたが、僕が話し終わると、なるほどと軽く頷いた。そしてコーヒーカップを右手に持ったまま窓辺に近寄り、ガラス窓にもたれて外を見ながら言った。
「旅っておもしろいもんだね。私が真鍋さんと会い、根岸君と会い、君とも出会った。どこかで少しずつつながっている。玄奘三蔵も旅をしながらいろんな人に出会ったんだろうなぁ。」
先生はコーヒーを啜り、フーッと溜息をついた。
「彼女はね、後悔していたんだ。根岸君を旅行に誘ったことをね。」
根岸君というのはヒサコさんにふられた彼の名だろう。
「トルファンのホテルに真鍋さんが一人で訪ねてきたときはびっくりしたよ。ひどく思い詰めた様子でね。涙ぐんでいた。」 「えっ、ヒサコさん、泣いてたんですか!」 「少しね。根岸君のことを思ってね。真鍋さんは彼のことが嫌いだとかイヤというわけじゃなくて、罪作りなことをしたと思ったみたいだね。気がついたら好意を持たれていてびっくりしたってところだな。まさかこんなことになるなんて彼女は思い至らなかったんだろうね。これ以上二人一緒にいると、根岸君を更に傷つけてしまうと言っていた。いいじゃないか、君が根岸君をイヤじゃなけりゃと言ってやったんだが、そういう気はありません、とさ。真鍋さんにとっちゃ根岸君は子分だった。男と見てなかったんだね。ハハハハハハ、彼女、頭がよくて何でもそつなくこなすわりには、そういう方面は鈍感だなと思ったよ。だってそうだろう?普通男女が一緒にいれば好意が湧くだろ。しかも彼女は美人だし気が利くときている。たいていの男は気に入るだろう。君だってそうじゃない?」
先生の不意をつく質問にドキッとした。
「あ、ああ、そ、そ、そうですねぇ。ただ、そういう気持ちになるより早く、僕のツレの方が彼女に熱を上げちゃったから、僕は不完全燃焼でしたけどね。」
やんわりとかわした。
「そうか。あ、真鍋さんは去年離婚したそうでね、ご主人はカーレーサーだったらしい。結婚前は気にならなかったそうだが、結婚してからご主人の身の安全が心配で心配でたまらなくなって、うまくいかなくなったらしい。離婚後、彼女は従姉のお姉さんが住んでいる香港にしばらく身を寄せていたと言っていた。香港で根岸君とも会ったようだ。話しているうちに意気投合したらしい。従姉のお姉さんに広い中国を見てきたら、価値観や世界観が変わるんじゃないかと言われたこともあって、中国旅行に根岸君を誘ったようだね。弟分という感じがしたんだろうな、真鍋さんは。」
気さくな彼女のことだ。初対面の人とでもすぐにうち解け彼と友達になったのだろう。だから根岸君も一も二もなくOKしたに違いない。真鍋さんと根岸君との間で中国旅行に行く約束が交わされる様子が手に取るようにわかった。
「根岸君は名古屋に実家があると言ってたからね。真鍋さんのほうは岐阜だろ。訪ねてこられると困ると思ったんだろうな。それで人のアドレス帳にも用心して住所を完全に書かなかったんじゃないかねえ。」
駒田先生はコーヒーを飲み干した。
「ああ、でも青春だなあ、逃げる方も追う方も。旅の恋・・・か・・・。素敵だね。ただ、旅の恋の多くは実を結べないように思うねえ。現実の暮らしと離れたところでお互い相手を見るからね。ここじゃなおさらシルクロードの風に吹かれて、恋も旅だけに消えちゃうんジャーニー、なんちゃって。」
先生の駄洒落に僕は思わずぷっと吹き出した。
「ごめんごめん、くだらない冗談が好きなもんでね。」
先生は謝ったが、いやいやくだらない冗談ではない。確かに旅で生まれた恋なんてなくなりやすいように思った。日本に帰って、ある日どこかで真鍋さんに出会うことがあったとしても、きっとお互いさりげない挨拶をしてすれ違ってしまうんじゃないか。ふとそんな気がした。池上君も根岸君も持て余した恋心を置いて日本に帰るんだろうか。
「そうですね。それに新彊の暑さに旅の恋も溶けちゃいそうですね。」
僕も立ち上がって窓辺に近寄り、外の景色を見ながら呟いた。僕の心に芽生えかけた真鍋さんへの思いは、ウルムチの地に埋めて立ち去ろう、そう思った。
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