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新彊野宴(シンチャンバンケット)
【イギリス人】 その3
翌日、キャロルと池上君と僕の3人で、地元のコンサートに出掛けた。招待所の受付の女の子が教えてくれたのだ。なんでもウイグル人のミュージシャンが演奏会をするらしい。それで、教えられた通り、ヤルカンドの市民ホールみたいな所へと向かった。
入り口でチケットを買って中に入った。僕が3人分まとめて払ったが、後で割り勘にしてもらうつもりだったのだ。僕らは席に座った。自由に座ってもかまわないようだったので、真ん中の少し前に陣取った。ベストの位置だな。
お客は後から後からどんどん入ってきた。落ち着いてからさっき買ったチケットを見た。全部で14元払ったんだが、なんだか半端な数字だということに気づいた。14元なんて3人で割り切れないじゃないか。手元のチケットをよくよく見ると、、2枚にはそれぞれ2元と標示されていたが、残る1枚には10元と印刷されていた。なんだ、これは?いったいどういうことだ?悩んでいると、横の池上君が気がついたようで、
「あれっ、おかしいですね。なんや、これ!」
と叫んだ。が、少し考えたら彼はまた声を張り上げた。
「わかった!これって2枚が中国人価格で、こっちの1枚が外人料金とちゃいますか。キャロルは一見してすぐ外人ってわかるから、彼女の分だけ外人料金を取られたんでしょうね、さっきの窓口のヤツに!きっと僕と戸田君は通訳かなんかやと思われてんわ!」
そうなのか!僕がなるほどと頷いていると、池上君の横に座っていたキャロルがサッと手を伸ばしてきて、僕の手の中にあったチケットをひったくった。彼女は3枚のチケットを見比べるなり、強い口調で言った。
「何よこれ!差がついているわね!私一人が高い外国人料金を払うのね!」
眉間に皺を寄せ、キャロルは険しい顔つきになった。慌てて池上君が立ち上がった。
「じゃ、僕ら二人も外国人だから、受付に行って訂正してくるよ。」
池上君が入り口に戻ろうとするのを、キャロルは追いかけて行ってた。そして池上君のシャツの袖を引っ張って制止した。
「NO!NO!そんなことしちゃダメ!正直に言ったら、あなたもヒトシも10元ずつ取られるのよ。訂正なんかする必要ないわ!」
池上君はキャロルに引き戻され、また席に着いた。
「じゃあ、どうする?支払い・・・・・」 「割り勘にしましょか、公平に。僕らも外国人なんやし。」 「そうだね。じゃあ、14元だから5元、5元、4元と割ろうか。」 「うん、キャロルは4元にしてあげて・・・」
僕らのヒソヒソ話を察知し、キャロルはまた声を荒げた。
「私のために高いお金を払う必要なんてないわよ!もういい!私、不愉快だから帰る!その10元のチケットちょうだい!返してくる!ミュージックショーは見ないわ!」
言うが早いか、彼女は池上君が指に挟んでいた10元のチケットをサッと抜き取り、席を立つとスタスタ入り口の方に向かって歩き出した。日本語で喋っていたのにキャロルはよくもわかったもんだな、と感心してしまった僕と違い、池上君はすぐ彼女の後を追いかけた。
「あっ、ちょっと待って!キャロル!キャロル!」
走りながら池上君は僕の方を見て
「席、取っといてねー!」
とだけ言い置き、入り口に向かってキャロルを追った。
場内にオープニングのアナウンスと、ショーの始まりを合図するブザーが鳴った。会場の照明が落ち、幕が開いた。観客の拍手が響き渡った。白馬に跨った王子様のように、白いヒラヒラのブラウスに白いズボン、赤いボレロを着た背の高い長髪の男が、スポットライトに浮かび上がった。男はエレキギターを抱えて登場しており、まず一度力一杯かき鳴らすと、ビュオ~~~ンと物凄い音を立てた。すると場内は歓声に沸き、口笛や指笛がヒューヒュー起こった。ノリに勢いづき、ウイグル王子の演奏が賑やかに始まった。ロック調の音楽だが、シャープやフラットが混じったようなイスラミックな旋律が軸になっている。左隣に座っている中学生くらいの女の子連れが、大喜びで拍手している。ウイグル王子は足を左右に大きく広げ、ギターの柄を高くかざして悦に入っている。彼はマイクに近寄り、歌い始めた。池上君もキャロルもまだ帰ってこない。
幕が開いてから15分ほど経って、ようやく二人が戻ってきた。ウイグル王子は既に3曲歌い終わり、4曲目に入ったところだった。
「ずいぶん遅かったね。」 「アイムソーリー、ヒトシ。お待たせ。」
キャロルは申し訳なさそうにちょっと首をかしげた。
「あーあ、彼女を説得すんの、大変でしたわ。」
池上君はぐったりした様子だった。
「お疲れさん。」
ウイグル王子の4曲目の歌はバラード調だった。客席からのヒューヒュー声は消え、場内は静かになった。池上君が僕の方に体を寄せ、耳元でボソボソ話し出した。
「まいりましたわ、実のところ。何度も彼女を説得したんですよ。最後は僕ら二人が彼女にこのショーをプレゼントするって形にしましたけど、いいですか?戸田君が賛成できないなら、僕が全部奢るってことにしてもええですから。」 「いいよ。二人で7元ずつ出して、彼女を招待したってことで全然オッケー。」 「すんませんねえ。」
物事を荒立てず、穏便に処理する日本人のサガが出たような一件だった。
結局ウイグル王子はその後お喋りなどを挟みながら5曲ほど歌い、小一時間ほどでコンサートは終わった。音響設備の悪さや、似たような曲の続く変化のない構成を見ると、計14元のお値段は割高だと思った。が。珍しいイスラミックロックが聴けたという点では価値があったと言えるだろう。個人的にはウイグル伝統音楽の演奏や踊りの方がよかったのだけど。ま、ヤルカンドの人達が喜んでいたからよしとするか。それにキャロルのご機嫌も直ったことだし。そして、何よりキャロルにご執心の池上君が安堵した結果となったのだから。
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【イギリス人】 その2
夜になった。外の食堂で簡単に食事を済ませ部屋に戻ってくると、キャロルがベッドの上でパンを囓っていた。
「食べる?まだあるわよ。」
彼女はどこかで調達してきたコッペパンみたいなヤツを、3,4個入れた袋を持ち上げて見せた。もう食べてきたからと言うと、
「これ、ちょっと塩気があって意外とイケるの。それに安いのよ。これだけで50ペンスもしないのよ!」
とご満悦。左手にパン、右手にミネラルウォーターの入ったペットボトルを持ち、交互に口に運んでいる。その他には何も食べていない様子だ。
「デザートにチョコレートなんか、どう?」
僕はキャロルに、きのう買っておいた小さな板チョコを見せた。
「あら、いいの?じゃ、少しいただこうかな。」
彼女は少女のように笑みをたたえた。僕はチョコを半分に割って、大きめの方をキャロルに差し出した。 その時、トントンとノックの音がした。部屋のドアがガチャリと開いて、一人の男が入ってきた。
「ニイハーオ!」
バックパッカーだ。今日はもうバスがないから客なんて入ってこないと思っていたのだが。新入りの顔を見て僕はびっくりした。
「池上君!」 「戸田君やないですか!」
なんと、入ってきたのはカシュガルの其尼巴合(チニバー)ホテルの同じドミトリーに泊まっていた、大阪の学生池上君だった。
「こんな時間に一人で?」 「そうなんです、英吉沙(イェンギサール)から来たんです。」 「え?でも、バスなんてもうない時間でしょ?」 「はい、バスじゃなくて車に乗せてもらって来たんですよ。こっち方面に行くっていうトラックに便乗させてもろて。」 「へえ、ヒッチハイクか!やるねえ。」
池上君と僕が再会を喜んでいる姿を、キャロルは嬉しそうに見ていた。僕らが彼女の視線に気づき苦笑いをすると、
「知り合いなの?」
と、僕ら以上ににこやかな表情を見せた。
「そうなんだ。カシュガルの宿で同じ部屋だったんだ。」 「はい、僕、ケンスケ・イケガミです。ケンって呼んでください。」
池上君はかぶっていた野球帽をサッと取って自己紹介した。キャロルも自己紹介し、チョコレートを少し囓った。
「おっ、キャロルさん、チョコレート好きですか?僕もありますんで、よかったらどうぞ。」
池上君は自分のリュックの中をガサゴソ手でまさぐり、朱色の紙で巻いた板チョコを取りだした。
「まあ、ありがとう。いただくわ。」
キャロルは嬉しげにそれを受け取り、池上君はデヘヘと照れて、頭を掻いた。
それからしばらく、池上君と僕は、その後の旅をお互いに話した。僕はホータンでの出来事を、池上君は英吉沙(イェンギサール)での出来事を語り、笑ったり感心したり驚いたりして騒いだ。その間、キャロルは自分の本を読んでいたが、時々僕らのお喋りする様子を見ては、静かに微笑んでいた。ほどなく彼女の視線と池上君の視線がフッとぶつかり、池上君は話を切った。
「あ、すみませんね、僕らだけ日本語でペラペラ話しちゃって。ご迷惑じゃないですか?」
キャロルに気遣いを見せる池上君であった。
「大丈夫よ、気にしないで。日本語はわからないけど、あなた達の会話はバックミュージックみたいに心地いいわ。」 「それならいいんですが・・・」 「気を遣ってくれてありがとう。イギリス人の私はラッキーだわ。他の国の人達みんなが英語を話してくれるから。英語だけ知ってりゃ、オーケーなんだもの。」
キャロルが首をかしげて笑うと、褐色の髪がサランと揺れた。彼女の髪が小気味よく波打つのに僕が気づくより早く、池上君は彼女の髪の動きに見とれていた。ちょうどシャンプーやリンスのテレビコマーシャルで、女性の髪がスローモーションで揺れ動く心地よさを感じるかのような池上君の表情は、端で見ているとちょっと滑稽だった。女に見とれる男の顔は、時に間抜けに見える。間抜けとまではいかなくても、池上君は天女に魂を抜き取られたような顔だった。放心状態に近く、思いっきり油断していた。今、コソ泥にパスポートを持って行かれたとしても気がつくまい。僕は池上君の名を3回呼んで、やっと彼は気がついた。
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【イギリス人】 その1
コンクリートの灰色がもの悲しく見える路地をあてもなく彷徨う。道はあちこちひび割れており、少しくぼんでいる箇所や反対にいびつに盛り上がっている箇所がある。
ウイグルの少年が数人、僕のそばをサーッと駆け抜けたと思ったら、また走ってきた。鬼ごっこをしているんだろう。国は違っても子どもの遊びは同じだな。彼らは木枯らしに舞う落ち葉のように行ったり来たりを繰り返し、ついにはどこかへ消えていった。
ウイグルナイフを売る店が道端にぽつんと商いをしていた。敷布に並べ広げられたナイフを品定めするお客が店の前に立っていた。皆商品を手に取ってはためつすがめつ眺めている。店の主人は紙を切って見せたり芋を切って見せたりして、切れ味の良さをアピールし、立て板に水のごとくの売り口上を披露していた。しかし、主人の努力も虚しく、客はナイフを置いて買わずに帰っていく。そんな様子を横目で見ながら通り過ぎる。
向かい側からウイグルの母娘が歩いてきた。親子は手をつないでいて見るからに微笑ましい図であったが、彼女らが近づいてくるとその印象は覆された。赤いスカーフをかぶったやせ気味の母は厳しい表情をしていた。そして、4,5歳くらいの娘に早口で何かまくし立てている。激しく叱っているようだ。娘はベソをかきつつ母の手にひかれていた。娘の視線が僕の視線とぶつかった。彼女はすぐに目をそらせたが、僕は何となく気になって、すれ違ってからも振り向いたまま彼女らの様子を見つめた。母親はもう一度大きな声で娘を叱り飛ばした。すると娘は声を上げて泣き出した。女の子の泣き顔が後ろ姿からでも容易に想像された。
電信柱に看板がくくりつけられていた。そこにはウイグル文字で何か書かれていた。その下には漢字でも文書が記されていた。標語だろうか。漢字の方を読んでみる。 《近親結婚はやめましょう》 というような文句が書いてあった。
やはり、どことなく寂しい町だ、ヤルカンドは。
莎車招待所に戻ると、僕だけしかいなかった部屋には客人が一人増えていた。
「ハ~イ、私、キャロル。イギリス人よ、よろしく。」
褐色の髪の裾が外側にクリンとカールした妙齢の女性が、僕の向かい側のベッドに座っていた。
「さっき着いたばかりなの。」
彼女はそばかすだらけの顔をほころばせた。
「このベッド、使ってもいいでしょ?」
キャロルは自分が腰掛けているベッドをポンポンと軽く叩いた。いいよ、と僕は答えた。一人旅なのかと尋ねると、彼女はコクンと頷いた。
「もし僕のことが気になるなら、隣の部屋に変えてもらってもいいよ。」
ここは3人部屋だ。外国人旅行客がさほど多くないヤルカンド。おそらく今日はもうこれ以上客はこの部屋には入らないだろう。となると、キャロルと僕と二人だけでこの部屋に泊まることになる。野郎と二人きりだったら心配にならないか、こちらから気遣いを見せるのが礼儀だろう。
「大丈夫よ。それに、あなたジェントルマンでしょ?」
キャロルは間髪を入れずに言って目配せした。
「あ、ああ・・・そりゃあもちろん。」 「それに、ここ1泊12元でしょ。安いもの。シングルだと高くつくしね。」
さらっと答えてから、彼女は身支度を調え、じゃあねとゴキゲンで出掛けていった。
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