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稚拙な表現ではありますが、旅行記などを発表していきたいと思います。
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青春の思い出?若気の至り?
中国大陸をほっつき歩いた旅記録です。
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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【シンガポーリアン】 その3

 前後左右に車は揺れ、時折体が浮いて車の天井にしたたかに頭をぶつけた。そんなことを繰り返しているうちに白い砂漠が視界に入ってきた。サラサラした砂が大地に敷き詰められ、緩やかに波打った風紋が砂の丘に美しく描き出されている。テレビやカレンダーの写真なんかで見られるあの景色だ。

「着いたぜ。降りな。」

 ドライバーがぶっきらぼうに顎をしゃくって合図をした。

「30分な。暑いから俺は車の中にいる。」

 ドライバーだけを残し、我々旅行者は砂地に降り立った。

「キャー!素敵ィ~。本当に砂漠って広いのね。ほら見て、見て!サラッサラの砂よ~!」

 トレイシーは砂を手にとって大はしゃぎだ。

「すげーな。さすが中国は広大だね。ちょっと歩いてみようよ。」

 ピーターの提案に従い、我々4人は砂の大地を踏みしめ踏みしめ、ゆっくり歩いた。太陽が斜め上に輝いている。そこから放たれる尖った光がかっかと我々のいる場所を焙りだす。太陽と砂漠がこんなにお似合いだとは実感しなきゃわからないな、と僕は思った。額や髪の生え際から汗が噴き出し流れ落ちる。柔らかい砂地は歩きづらい。一歩一歩足が沈み込んでしまう。ゴビの砂に足を取られながら、我々は特にあてもなく歩き回った。

「キャー!」

 隣を歩いていたトレイシーが突然叫び声を上げ、僕の腕にぐいっと掴まってきた。バランスを崩し、転びそうになったのだ。

「大丈夫?」

 僕はトレイシーを支えた。

「ええ、ごめんなさい。」

 彼女はちょっと顔を赤らめたようだった。

「ねえ、あれ見てよ。」

 その時、ヘンリーが声を弾ませた。少し離れたところが坂になっていたのだ。白い砂地だからそれはまるでスキー場のゲレンデだ。なだらかなスロープは太陽の光に照らされ真っ白に反射している。瞬間、僕らはそのスロープめがけて駆けだした。シャッシャッシャッと軽く砂を蹴散らし、よろけながら我々はスロープの上に向かった。走るたびズックの中に砂が入ったが皆気にしなかった。汗をダラダラ滴らせ、砂にバランスを崩しながらもスロープの上方に辿り着いた。

「そり遊びしよう!」

 ピーターが足を前に投げ出して座った。ヘンリーがピーターの足首を掴み、そのまま後ろ向きに砂のゲレンデを滑り降りた。

「イェーイ!」

 ピーターは喜色満面で、滑り台を滑る子どものように叫んだ。

「私もやりたい!私もやりたい!ねえ、ヒトシ、足引っ張ってくれる?」

 トレイシーは僕の手を取ってせがんだ。いいよと僕が返答するより早く、彼女は砂の上に座った。ジーパンの裾から覗いたトレイシーの細い足首をしっかり握り、僕は力一杯後ろ向きに滑り降りた。きゃああああああああと金切り声を上げつつ、トレイシーは両の手を広げ空を抱えるようにして白砂滑りを全身で楽しんだ。お転婆少女のごとく無邪気な笑い声を飛ばし、一番下まで滑り降りた時には息を切らせている始末。

「ワンダフル!ワンダフルよ、ヒトシ!」

 トレイシーは立ち上がると軽くお尻についた砂を払い、ピョンと僕に飛びついてきた。喜びすぎだよ。犬みたいなヤツだな。よっぽど面白かったのか。すでに下で待っていたピーターも嬉しげだ。

「な、エキサイティングだろ!もう1回やろう!」

 我々はスロープの下から汗だくになりながらも上に向かった。滑り降りるのは一気だが、上るのは骨の折れることだった。砂の斜面は上っても上ってもズルズルと下へ流される。重力に逆らって足に力をこめ、一歩一歩ぐっと砂を踏みしめる。我々4人ははあはあ言いながら、やっとの思いでスロープの上に戻った。

「じゃ今度は僕の番。ピーター、お願い。」

 ヘンリーとピーター組は役目をチェンジし、今度はピーターが引っ張り役になり、ヘンリーが滑り役だ。

「お先にー!」

という言葉を残し、ピーターに足首を掴まれたヘンリーはズルズルズルッと滑り降りていった。彼らが滑り降りたお尻の溝には、雪崩のように次々と砂が流れ落ちていく。

「ヒトシお願い!もう1回引っ張って!」

 トレイシーは再び砂地に腰を下ろした。引っ張る役はやりたくない様子だ。しょうがないな。僕はまた彼女の足首を掴んだ。

「行くよ、お姫様。」
「ゴーゴー!」

 トレイシーと共にザザザーッと砂漠の傾斜を落ちていく。

「キャー!最高よヒトシ!すごーい、ヒトシ!ヒトシ!ヒドシー!」

 トレイシーはまたも大興奮。はしゃぐのはいいけれど、僕の名を連呼するのはやめてほしいと思った。恥ずかしいし、それに‘ヒドシ’と間違って叫ぶなんて、本当に‘ひどし’だ。トレイシーの弾けるような喜びの表情には何の邪念もなかった。こんなくったくない笑顔を見せられると、男は弱い。ねぇ、もう1回いい?というリクエストに応えざるをえなくなる。結局僕は彼女の足首を持って5回も砂丘を駆け下りた。ピーターが気の毒がって一度だけ僕の足を引っ張って滑り降りてくれたのだが、トレイシーは一度も引っ張り役はやらなかった。


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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【シンガポーリアン】 その2

 翌朝シンガポール人のピーター、ヘンリー、それに同じくシンガポール人のトレイシーという女の子と僕の4人は、ウイグル族のおじさんが運転するジープに乗った。デンマーク人のイエンスは体調がまだ思わしくないと言って砂漠ツアーを断念した。がっちりした体格の運転手は顔じゅうもっさりとした髭を生やしていて、見るからに怖そうだ。

「いいか!しっかり目ぇ開いてホータンの景色を見るんだぞ!!」

 運転手は後ろに座っている僕らの方を振り返って叫び、ウインクするとエンジンをかけてアクセルを踏んだ。ブウウンという音とともにジープは砂漠目指して走り出した。

「なんだかワクワクする!ホータンの砂漠よ~!」

 トレイシーは上機嫌だ。

「ねえ、ヒトシは砂漠見たことある?日本に砂漠ってあるの?シンガポールには砂漠なんてないでしょ、もちろん。ちっちゃい国だからね。」

 どうも彼女はお喋りらしく、今日会ってからずっとこんな調子で話している。初めての砂漠見学にテンションも上がりっぱなしのようで、口も滑らかだ。

「砂漠に入ったら道に迷っちゃわないのかな?だって周りに何もないんでしょ?砂だけなんでしょ?」

 ちゃんと道路が舗装されていないんだろう、車の揺れが激しい。左右に車体が揺れるたび、隣に座っているトレイシーのポニーテールが僕の肩や腋に当たる。ランニングを着ているから素肌に直接髪が撫でつけられて妙にくすぐったい。

「砂漠っていってもいろいろあるよ。砂だけの砂漠もあるし、荒れ地が続いているところだって砂漠だよ。ホータンに来る時、バスの中からゴビタン見なかった?荒れ地だったろ。砂はなかっただろ?」

 くすぐったくて笑いそうになるのを堪えながら僕は答えた。

「私、バスでここに来てないから知らないわ。カシュガルから飛行機で来たんだもん。」
「え?ピーターとヘンリーはバスで来たんだろ?」

 隣に座っているヘンリーに確認する。

「うん、僕ら二人はバスで来たよ。トレイシーとは2日前ここで会ったのさ。」

 ヘンリーが説明した。更に助手席に座っているピーターが後ろを振り向いて

「僕ら実は同じ大学なんだ。僕とヘンリーが一緒に旅に出て、新彊に来たんだ。まさかホータンで同じゼミのトレイシーに会うとは思ってもみなかったよ。すごい偶然さ。」

と両手を広げながら言った。

「ふうん。じゃあ、君は一人旅だったんだね。」

 僕の問いかけに、何故かトレイシーは答えにくそうに口ごもった。

「あ・・・・・一人じゃなかった・・・のよ。最初はね。初めは二人で・・・二人の旅だったの、途中まで。」

 角ぶちの眼鏡を正しながら彼女は控えめに言った。

「へえ。じゃ、一緒に来ていたその友達は先にシンガポールへ帰ったの?」

 僕の問いにトレイシーが答える前に、ピンターとヘンリーが声を立てて笑った。どうも男二人はトレイシーの旅の経緯を知っているらしい。

「実はね、喧嘩別れしちゃったのよ・・・。」

 さっきまでの元気はどこへやら、突然彼女はしおらしくなった。ピーターは助手席から後部座席の方に身を乗り出さんばかりになって

「せっかくの彼氏との旅を台無しにしちゃって。」

と、トレイシーに向かい意地悪そうに笑った。

「学校戻ってからどうすんだ、知らねえぞ。」

 ヘンリーも僕の肩越しに彼女に迫った。

「もうやめてよ、二人とも!ヒトシの前で言うことないでしょ!」

 トレイシーは両手を振り上げて怒った。だが、ピーターとヘンリーはお構いなしになおもギャハハと笑う。どうやらトレイシーは同じ大学に通う彼と一緒に旅行していたようだ。

 「頬を平手打ちってのはちょっとやりすぎなんじゃないか?」

 ヘンリーはたたみかける。

「ヒトシ、しかもコイツ、市場で、公衆の面前で彼氏を殴ったっていうのさ。」

 ピーターは後ろを向きっぱなしでトレイシーを茶化す。

「だから、それはあっちが悪いからじゃないの!もうこの話はこれでおしまい!終わり、終わりー!」

 トレイシーは両の手を広げて叫んだ。ピーターやヘンリーがまだ何か言おうとするのを、彼女は手を伸ばして彼らの口を塞ごうとした。それで車内はどたんばたん大騒ぎとなった。

 「こらっ!静かにせい!じっとしていないと危ないぞ!ほら、お前はちゃんと前を向いてろ!」
 
 さすがの運転手もこれには怒った。助手席のピーターは運転手にぐっと肩を掴まれた。一喝された僕らはおとなしくなり、しばしの間借りてきた猫みたいにかしこまって座っていた。

 道は次第に険しくなり、車は常に揺れる。揺れが激しいと、どこかに掴まっていないと体を支えられない。が、僕は後部座席のちょうど真ん中に座っているから最も不安定な体勢となる。左側にいるヘンリーの肩がぶつかったり、右側にいるトレイシーの頭がぶつかったり、二人に両側から強く挟まれ「うっ」と声が出そうになったり。そんな僕の様子など気づかないのか、トレイシーは時々僕の腕にしがみつくわ、短パンから露わになった僕の腿を掴むわで、ちょっぴり痛くまた妙にくすぐったく、落ち着かないので早く目的地に着かないかなと思った。が、その逆に女の子にしがみつかれるなんてそうそうはないから、こういう状況も悪くはないな、とも思った。


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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【シンガポーリアン】 その1

 僕は今、長距離バスの中にいる。カシュガル発ホータン行きのバスは土煙を上げながら、淡々と続く砂漠の中の一本道を黙々と走っている。前から4列目の窓側の席に陣取れたことに感謝しなければいけない。一番前だと次々に乗り込んでくる乗客や荷物で押されてしまうし、後ろなら跳ねがきつくて天井に頭をぶつけてしまう。通路側は景色がよく見えない上、客同士の話や物のやりとりなどのいざこざに巻き込まれがちだ。窓側ならずっと外を眺めていれば煩わしいことに悩まされずに済む。僕はただ黙って窓の外を見ていた。

 漠々とした灰色のゴビタンは3時間走っても6時間走っても同じような風景が続く。草も生えない殺伐とした大地を長らく目にしていると終いには飽きてしまう。そんな単調さが時間の感覚までおかしくする。1分が10分くらいに思え、10分が30分くらいに思え、1時間が3時間くらいに思えるのだ。

「おいジャパニーズ、君は平気かい?もう僕は発狂しそうだよ。」

 前の席に座っているデンマーク人の若者が急に振り向いた。。

「この景色、死ぬほど退屈じゃないか。さっきからちっとも変わらないね。それにこのバスってばさ、ヒドイじゃないか。君は大丈夫なのかい?」
「大丈夫って何が?」
「座席さ。狭すぎるよ。前の椅子との間隔が詰まりすぎてて窮屈だろ。中国人は何ともないのかな。クレージーだよ、まったく。」

 背の高いヨーロピアンの彼は足も長い。膝を折り曲げてもうまく足を固定させるのが難しいのだ。

 彼はほとんど怒っていた。しかしケトウがいくら怒ってもどうしようもないし、どうにもならない。気持ちはよくわかるが、ホータンに着くまで耐えるしかない。

 途中の食事休憩とトイレ休憩を取りながら、やっと夜10時に終点のホータンに辿り着いた。バスから降りて思いっきり背伸びをする。すぐ後から降りてきたデンマーク人はへろへろになっていた。

「こんなつらいバス移動、初めてだよ。はあ、めちゃくちゃ疲れた。ダウンだ。」

 彼はバスを降りてもまだ“テリブル”とか、“オーマイガッ”とか連発した。彼のブロンドの髪はぐしゃぐしゃになり、ところどころで跳ねていた。しょうがないな。恐怖の長距離バスにすっかり参ってしまったデンマーク人を連れて、僕はホータンの招待所に向かった。もうすぐ満月になりそうな月が夜空にくっきり浮かび、何もない荒れた大地を包むように照らしている。灰色の地面が仄白く光って、鈍く反射しているように見えた。

 招待所に着きチェックインを済ませた後、僕とデンマーク人は4人部屋ドミトリーに入れられた。そこには先客が二人いて、僕らが入ったことにより満室となった。

「ハーイ、こんばんは。今着いたところだね。」
「バスで来たんだろ。大変だったでしょ。」

 先客二人は嬉しげに僕ら新客を迎え入れてくれた。彼らはどちらもアジア系だが流暢な英語を話した。

「はははは、本当に大変だったよ。地獄の12時間だったね。発狂寸前だったけど、生きてここにチェックインできたから幸せだよ。えーっと、僕はイエンス。デンマーク人さ。」

 へろへろになりながらもデンマーク人は笑顔で自己紹介をした。イエンスに続き僕も簡単に自己紹介した。

「僕らも二日前に同じバスでここに来たんだ。僕はピーター、そしてこいつはヘンリー。シンガポーリアンだよ。」

 先客の一人が愛想よく話す。ピーターもヘンリーも僕と同じ年頃のようだった。二人で新彊を回っているのか聞くと、今度はヘンリーが答えた。

「僕らの他にもう一人連れがいるんだ。隣の部屋ね、女性ドミトリーになっているんだけど、そこにもう一人仲間がいるよ。」
「明日僕ら3人砂漠ツアーに行こうと思ってるんだけど、もしよかったらお二人さんも一緒にどう?」

 ピーターが僕とイエンスに誘いかけた。


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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【日本人留学生】 その8

「さっきの北京師範大留学生は早く日本に帰りたそうでしたけど、名高さんは中国が気に入ってるんですね。」
「そうよ。気に入ってる。日本と勝手の違うところが面白いのよね。さっきの北京の子達は学生だからまだ社会人の立場っていうのがわからないのよ。日本で働いているとね、職場に埋没しちゃってマニュアル化された自分に気づかなくなるのよ。いろんな事感じなくなっちゃうほど忙殺されちゃう。でも私、ここに来たお陰でいろんな事に気づけたの。」

 残りの拌麺(バンミエン)を食べながら落ち着いた口調で話す彼女には、社会経験者らしい大人びた雰囲気がにわかに漂い始めた。無邪気な女カンフー師から海外生活を経験した逞しい先輩に変身していく瞬間を見たようだった。

「さっきの留学生二人は中国人のことずいぶん嫌っているようでしたが、名高さんは違うみたいですね。」
「そうねぇ。最初は中国人に対してさっきの留学生みたいに少しばかり抵抗あったのは確かよ。それは認める。でも彼らと付き合ううちにわかってきたの。中国人ってとっても人間くさい民族だってね。日本人みたいに事務的じゃないのよ。仲良くなったらすごく親切にしてくれるしね。知らない人には冷たいけど、知っている人には温かいの。知り合った中国の人には本当にお世話になっちゃってね。だから悪口なんか言えないわ、さっきのあの人達みたいには。それに中国人ってね、人懐っこくて可愛いの。こんなこと言うと語弊があるかもしれないけど、小犬みたいなのよね。小犬のようになつくの。仲良くなったらいい年をした大人でも手を組んできたりしてね。日本人同士の付き合いみたいに、常に微妙な間合いとか空気とか読まなくてもいいのよ、中国人といればね。要するに気さくなんじゃないかな、中国の人って。中国語だったらはっきりものも言えるしね。これから日本に帰ったら、日本人同士の付き合いに戸惑っちゃうかもね。」

 名高さんはふふっと笑うと残りの麺を平らげた。

「留学生の中にはさっきの人達みたいに中国人のこと嫌いになる人もいるけど、私みたいなのも多いのよ。だってそうじゃない?異国に来て嫌なことしか感じないなんて、視野を狭めてるだけじゃない?そんなの変よ、自分の国と違って当たり前でしょ、外国だもの。その国のいいところや、その国に住む人々のいい点を学ぶのも留学だと思うわ。言葉だけ勉強するのが留学なの?文化や考え方を見ることこそ大事なんじゃないかな。」
「そうですね。僕も外の世界が知りたくて飛び出してきましたから同感です。」

 僕は何度も頷いた。

「外国なんだから違いがあればあるほど興味深いじゃない?」

 彼女はにっこり笑った。僕はその笑顔に撃沈させられ、彼女の頬にできた愛くるしいえくぼにしばし見とれていた。雑誌なんかに『自分の考えをしっかりと持っている女性はステキだ』なんて書いてあるが、そんな女は小生意気で鼻持ちならないんじゃないかと思っていた。が、自分の気持ちを述べる見本みたいな実物を今ここで目の前にすると、雑誌に書いてあった文句もあながち嘘じゃないと知った。

 日本人留学生もいろいろなのだ。来たはいいが嫌気がさして後ろ向きになる者もいれば、留学生活を謳歌し有意義に過ごして名残を惜しみつつ帰っていく者もいる。僕は旅人の立場だが、名高さんのように充実した旅を送って日本に帰れるだろうか。

「ねえね、そろそろ出ましょうか。」

 名高さんに言われてハッと我に返った。

「ありがとね。気を遣ってくれたんでしょ。ここは私にご馳走させてね。」
「いえ、そんな!」
「あはは、いいからいいから。あなたはまだ旅を続けるんでしょ。私はこれから日本に帰って日本円稼ぐから大丈夫よ。」

 彼女は老板(ラオバン)に二人分お金を払った。

「毎度あり。こら、女に払わせるなんて情けねぇ。」

 老板(ラオバン)は僕の頭を軽く小突いた。


 其尼巴合(チニワー)の入り口まで一緒に帰ってきたが、名高さんはちょっと散歩してきたいと言った。僕は部屋に戻って休みたかったから手を振っていったん彼女と別れた。

「あれ、今の美人、戸田さんの知り合いですか?」

 ホテルから池上君が出てきた。

「うん、ちょっとね。」
「へえ~、紹介してくださいよ、いい尻(ケツ)してますやん、あの人。」

 まだ彼女の後ろ姿が確認できる距離だったから、池上君は名高さんの背中を凝視していた。

「やめろよ、そんなパキジャンみたいな言い方。そんなこと言ったらあの人に投げ飛ばされるよ。」

 僕はカンフーの動作つきで池上君に注意を促した。

「え!そんなんできる人なんですか。」

 池上君はあからさまに驚いた。

「うん、さっき僕も見事に投げ飛ばされちゃったんだ。」

 僕は腰を曲げ、尻をさすりながら痛そうにして見せた。

「ひゃああ、きれいなバラには刺があるって言いますけどホンマなんですね。おお、こわぁ~。」
「そう、だから気をつけて。」
「は、はい。じゃ、ちょっと出かけてきます。美人とは別の方向へ行きますわ。くわばらくわばら。」

 池上君は小走りで名高さんとは反対の方の道を行った。

 名高さんに本当に投げ飛ばされたわけじゃない。でも、心の中にあったもやもやを彼女がスカッと投げ飛ばしてくれたことは確かだった。


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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【日本人留学生】 その7

 案内したところは言わずとしれた、行きつけの親父の店である。名高さんは自分でお気に入りの店を見つけて入りたそうであったが、ご馳走すると言ったら、じゃあいいか、とついてきた。ドミトリーに置いたリュックの中に小銭を入れたままで心配だとしきりに口にしたが、大銭はストッキングに入れて腹に巻きつけているということだった。それなら心配ないですよと、半ば強引に親父の店に連れてきた。

 余計な気遣いかもしれないが、今彼女をあのドミトリーに帰したらきっと部屋にまだ北京の留学生がいるだろう。お互い気まずくはないだろうか。顔を合わせるのはもう少しほとぼりが冷めてからのほうがいいんじゃないか、と僕なりに考えたんだが。

 それに浩二さんのメンツも潰したくないという気持ちもあった。浩二さんが何故名高さんを僕に託したのか、さっきからぼんやりと思考していたのだが、一つには彼女との年齢が最も近い僕が適任だと思ったのかもしれない。博識ではあるが年若い島本君では役不足、また浩二さん自身では名高さんの態度が和らぐかと、いう不安があったのではないか。浩二さんは彼女にはやたらおどけて接していたからなぁ。いつもは変にはしゃいだりしない比較的冷静な浩二さんだが、留学生同士の殺気をいち早く察知してあんな言い方をしたんだろうな。わざとオヤジぶったにちがいない。浩二さんらしい機転の利かせ方だったのだ。だけどこんな事は入ってきたばかりの名高さんにわかるはずはない。

「女の子と一緒か。」

 老板(ラオバン)がにやにやしながら僕の肩をつついた。

「ははは、いいじゃないか。彼女、留学生で中国語ペラペラなんだから下手なこと言ったら全部わかるんだからね。」

 僕は老板(ラオバン)の肩をつつき返す。僕と名高さんは一番隅っこのテーブルについた。名高さんは拌麺(バンミエン)を、ぼくは回麺(ホイミエン)を注文した。さっき食べたばかりだから僕の分は軽めにお願いと厨房に言った。

「ここの麺、結構いけるんですよ。」
「ふうん、じゃあもうカシュガルのこといろいろ知ってるのね?」
「うーん、よくは知りませんが、ここはお気に入りの店なんです。」
「えーっと、あなたも留学生だったかしら?あれ、お名前とか聞いていなかった?」

 彼女は眉を寄せて僕を見た。

「さっき自己紹介しそびれましたよね。僕は留学生じゃないんです。大学を休学してぶらっと旅している身です。戸田均っていいます。」
「いいご身分じゃないの!」
「聞こえはね。だけどこのぶらっ旅の為にバイトしまくりましたよ。キツかったですよ。」

 僕はやんわりと言い返した。アジアを中心に1年間旅したいという夢を抱いた大学1年の頃から、いろんなバイトをかけ持ちして3年間を過ごしたのだ。道路工事、警備員、引っ越し屋など体力勝負のものから、ファーストフードの店員、割烹料理の給仕、宅配ピザのバイク乗りなど食に係わるもの、家庭教師、塾の講師など頭脳系のものまで、短期長期取り混ぜて貯金に勤しんできた。ファーストフードでは早朝の時給のいい時間帯を選び、少しでも稼ぐことを考えた。

 バイトを優先しすぎて授業に出られなくなり、親や先生に叱られたり心配されたりしたが、最終的にはどの科目も合格してみせて帳尻を合わせた。あんまり働きすぎて倒れそうになったこともあったが、旅の為だと言い聞かせ自分で自分を叱咤し、挫けそうな心に鞭打ち、精神力を奮い立たせ、若さにまかせて乗りきってきた。

「ここでこうやって名高さんと麺を食べていられるのも3年頑張ったからなんですよ。」
「そっか~。そうよね。私も同じだわ。」

 彼女は遠くを見るような目つきになった。

「私はね、短大出てセイシャ(正社員)で3年近く働いて、貯めたお金で留学しに来たの。もちろんボーナスもがっちり貯めこんだわ。事務機器の会社にいたんだけれど、あ、業界ではそこそこ有名な企業でね、お給料は悪くなかった。」

 名高さんは一気にOL時代に記憶をスリップさせた。その頃の生活を反芻するように目を細め、過去の日々を振り返った。

「職場での生活も悪くなかった。同僚もいい人達だったし、先輩もできた人が多かったし、後輩も協調性がある人だったし、お手上げって人はいなかった。上司もセクハラ気味の課長が一人いた程度で、あとは普通のおじさん達。仕事の仲間としては申し分なしだったんだけどね。」
「じゃ、どうしてやめちゃったんですか?」

 核心を聞いてみる。

「飽きちゃったのよ。毎朝早く起きて急いでメイク、満員電車に揺られてオフィスに着いてやることといえばお茶汲み、伝票整理、接客、コピー、電話の応対、要するに一般事務よ。何の刺激もないの。あー、私ここにいたら何かに埋もれちゃいそうだって思ったの。ただ会社での生活に流されていくだけ、みたいな。それで、平々凡々に過ごすのが突然イヤになっちゃったの。」
 「ほーら、出来上がり。どうぞお嬢さん、どうぞ色男。」

 親父がアツアツの麺を運んできた。

「いただきまーす。」

 名高さんはお腹が空いていたとみえ、話を切ったまま拌麺(バンミエン)を食べることに専念した。ひたすら麺を啜る彼女の食欲旺盛な顔を見つめながら、僕も回麺(ホイミエン)を口に運んだ。沈黙のまましばらく麺を啜る音だけがしていた。名高さんの拌麺(バンミエン)が残り5分の1程度になった頃、ようやく彼女は口を開いた。

「ごめんなさい、お腹空いてたから一気に食べちゃって。」

 はははははは、と豪快に笑ってから話を続けた。

「ねえ、『少林寺』っていう映画、知ってる?リー・リンチェイの。あの映画が好きでね、武術をちょっと習ってみたくなったの。」

 そう言えばそんな映画あったな。見たことがある。

「だけど嵩山少林寺は留学生を受け入れていないから、その近くの町鄭州の大学に決めたのよ。」
「なるほど、それで鄭州でこっちの方も習ったんですね。」

 僕はカンフーの動作を真似てみた。

「うん、少しね。まずは太極拳から入って、剣術とか刀術とか。」
「へえ!凄いですね。剣を振り回す、アレでしょ。」
「そう、アレ。」
「やりますね名高さん!女カンフーじゃないですか。カッコイイ!」
「いや、そんなに上手くないけどね。」

 ふふふと笑った彼女だったが、ふと寂しげな表情を見せ、

「帰りたくないな、日本に。」

とぽつり呟いた。が、ほどなく未練を振り払うように頭を左右に振った。

「お金使い果たしたようなもんだから、日本に戻っておとなしくまた社会人するわ。」

 名高さんは溜息混じりに諦めのの言葉を吐き出した。


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