|
新彊野宴(シンチャンバンケット) |
新彊野宴(シンチャンバンケット)
【パキジャン達】 その4
今日もやたらと暑い。太陽は容赦なく地上の人間に襲いかかり干上がらせようとしている。人はその暑さに耐えきれず汗を流す。その汗も乾燥した空気によって直ちに消し去られ、我々は否応なしに体から水分を搾り取られる。残酷なまでに晴れ上がったカシュガルの空の下を僕らはだらだらと歩いている。橋川さんと別れ、僕ら3人はホテルへの帰り道を鬱陶しい思いで足を引きずっている。 じりじりと焼けつくような新彊の夏は、僕らから水分だけじゃなく機敏さや快活さをも取り去っていく。抜き取られた僕らのエネルギーは全てウイグルの商人達の元へ集められるのだろうか。なんで彼らはあんなに元気でいられるのだ。エイティガール寺院の前でアイスクリーム作りの機械をゴリゴリ回しては、大声で客と話している店の少年の姿を見るとそう思わざるを得ない。
「さっきの橋川さんの話ですが。」
島本君が唐突に口を開いた。
「笑い話としてはたまらなくいいですけど、本人にとっちゃ悲惨としか言いようがない話なわけで。」 「じゃ、モーニングキッスされただけで済んだから、よかったと思います?」
自転車君が島本君の頬を軽く指で弾いた。 「そうそう、操を奪われてないんだもんな。」
僕も島本君の耳元で囁いた。 「はいはい、そうですよ!パキ男には捧げたかないっすよ!もう、そうやって人をおちょくってたら明日は我が身ですからね。」
島本君は下唇を突きだして僕らを脅かし、僕らはなおもおもしろがって島本君をからかった。 橋川さんの話はもしかしたらオーバーなものだったかもしれないが、確かにあり得ることだろう。自 分は巻き込まれたくないもんだ、と最後はこういう結論に達していた僕らだった。
部屋にもどると浩二さんが洗濯物を干していた。
「おう、お帰り。ハミ瓜買ってきたから一緒に食わない?」
浩二さんが大きなハミ瓜を豪快に4つに切り分けてくれ、僕らはそれを素直にいただきシャブシャブかぶりついた。ハミ瓜はちょうどよく熟れていて甘みも水分も申し分なく、浅ましいほど渇いた僕らの喉に心地よい潤いを与える。
「そこにいたパキスタン人達がね、さっき出ていったよ。」
浩二さんが島本君の隣のベッドを二つ指さした。どちらもシーツが新しいのに取り替えられている。
「チェックアウトしたってことですよね。」
ハミ瓜の種を取り除いていた手を止めて島本君が言った。
「そう。荷物持って出ていったもの。」 「よかったな、島本君。」
僕は島本君の肩を叩いた。
「女の子達も喜んでたぜ。そっち側のベッドの香港人の女の子二人。パキスタンの奴らにしつこく話しかけられて困ってたからね、彼女ら。、あ。だいたいパキスタン人の女を見る目つきって、男の俺でも助平だって感じるよ。あの目は尋常じゃないな。」
浩二さんはそう言ってちょっと顔をしかめると、ハミ瓜の皮をゴミ箱に投げ入れた。
「そうですよね、ここって男女混合のドミトリーですからね。」
自転車君も同調した。
「うん、だけどドミのほうが実は安心なんだな、女の子にとっては。」
浩二さんはタオルで手を拭きながらちょっと自信ありげに言った。
「ドミには人が多いから互いに見張ってる形になるだろ。だからパキスタン人も悪さはできない。かえって個室のほうが危ないんだよ。パキスタン人に部屋に入ってこられて強姦されたって噂もあるらしいからね、このホテルには。」
確かにこれもあり得る話だった。毎日ロビーにたむろしているパキジャン達はいつもねちっこい視線でマンウォッチングしている。女性客がソファーに座っていようものならすかさず話しかけるという抜け目のなさには恐れ入るぐらいだ。優しいという評判で通っていて、しかもうまくNOと言えない日本人の女の子は彼らの格好の標的になる。
カラクリ湖方面へのバスの便がいいという理由もあって、多くの旅行客が其尼巴合(チニバー)ホテルを利用しているが、パキスタン人の客が多いので毛嫌いして別のホテルに泊まる人もいる。特に欧米の女性がそうだ。
「このホテルの服務員の女の子もパキスタン人のこと嫌がって・・・」 浩二さんが更に続けようとした時、扉が乱暴に開いて池上君が小走りに入ってきた。
「いやぁ、もう、かなわんわぁ~。」
僕らの顔を見るなり、池上君は大声を上げた。
「そこの噴水池んところにパキスタン人が座っとったんです。僕がホテルに入ろうとしたら呼び止めるんで、何やろなあ思うてそいつに近寄っていったんです。そしたら急にぎゅうっときつう抱きしめてきて、顔舐められましたわ。んもぉ、気色悪う!」
池上君は自分の頬をごしごしこすり、僕らは笑い転げた。こういうパキスタン人にかかっては男も女も関係ない。僕らのような旅行客にとって、パキジャン達が困った存在であることは間違いないようだ。
ブログランキング【くつろぐ】
ブログランキング
ブログランキング
スポンサーサイト
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
|
新彊野宴(シンチャンバンケット) |
新彊野宴(シンチャンバンケット)
【パキジャン達】 その3
僕ら3人は食事に出た。ベッドに倒れ込んでからというもの何も口に入れていない自転車君と、今から朝飯という島本君のお供をして僕もついて出てきた。さっきまで腹など減っていなかったのに、大笑いをしたためか胃液も正常に分泌し始めたらしい。空腹感がじわじわと襲ってきている。 僕らはエイティガール寺院から職人街へと向かう道にある小さな食堂へ入った。そこで3人同じ皿うどんを注文し、もぐもぐと口に運んだ。
「やあ、戸田君じゃない?」
急に誰かが僕の名を呼んだ。振り返ってみると、そこにはもじゃもじゃのパーマを掛けた頭に丸いサングラスをかけ、口髭を生やし白い長袖のワイシャツにすすけたジーパンとう出で立ちの、痩せた男が立っていた。
「ああ、橋川さん!」
僕は箸を置いた。
「ギルギットで同じ宿だったんだ。」
島本君と自転車君にも橋川さんを紹介した。
「僕も入れてもらっていいかな。」
と言うが早いか、橋川さんは僕の隣に座った。店の老板 (主人)が橋川さんにも僕らと同じ皿うどんを注文するように促したが、橋川さんはナン1枚だけを頼んだ。
「ちょっと前にメシ食ったんだよな。」
橋川さんはそう言いながらシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。
「君達は同じホテル?」 「そうです。其尼巴合(チニバー)ホテルのドミです。橋川さんは?」 「あぁ、僕は色満(スーマン)ホテルのドミね。」
橋川さんは煙草を一本口にくわえてマッチで火を付けた。
「戸田君はいつカシュガルに入ったの?」 「僕は10日前です。橋川さんは?」 「4日前かな。ギルギットで君と別れてからパキスタンの山の村を回って、国境越えて、カラクリ湖、タシュクルガンと来て、ここ。」 「僕も同じようなものです。」
僕は橋川さんより早くギルギットを離れたのだったが、アラコラムハイウェイを越えてくるコースはたいてい似たようなものだ。だから次の町、またはもっと先で以前会った旅人と再会することは珍しくない。
「えっと、君達も戸田君と同じ学生?」
橋川さんは島本君と自転車君に聞いた。
「ええ、学生です。」
自転車君がうどんを頬張った口を押さえながら答えた。 「僕も学生です。っていうか、9月から留学生なんですよね。烏魯木斉の財経学院で1年。」 「ふうん、凄いね。何を勉強するの?」
橋川さんは老板(主人)から受け取ったナンをちぎり、島本君に渡した。
「あ、すみません、いただきます。うーん、ウイグル語をやろうと思って。」 「へーえ、何でまた?」
今度は自転車君が島本君に聞いた。
「うん、やっぱりおもしろいじゃないですか、新彊って。ウイグル人に興味ありますし。」 「偉いよね。勉強しようっていうのが偉いよ。あ、はい、君もどう?」
橋川さんは自転車君にもナンを差し出した。自転車君はよほどお腹が空いているのか、ニコニコ顔でそれを受け取った。
「君達はね、勉強できるときにしっかりやっておくことだよ。学校出たら働き蜂かフーテンかどっちかだもんな。」
橋川さんの言い方は年長者の先輩風を吹かせた、説教めいたものではなく、むしろ僕らの立場を羨ましがっているような気持ちが言葉の中に込められているように思った。
「じゃ、橋川さんはどっちなんです?」
僕も橋川さんのナンを少しもらい、それを更に小さくちぎりながら訊ねた。
「どっちでもあるし、どっちでもないかなぁ。」
橋川さんはふわあぁっと口から煙を吐いた。
「失礼ですが、ご職業は?」
島本君が丁寧な態度で聞いた。
「ん?僕は・・・ま、かっこいい日本語ではグラフィックデザイナーとか言われているヤツよ。こういう言葉の響きっていいんだけどさ、やってることはなんのことはない版下書きだよ。仕事のある時ってのはそりゃあ目一杯ペンを動かして、最近ではコンピューター動かすことが多いかな、とにかく残業残業の毎日だけど、こうやって旅もしてるんだからフーテンかもしんないな。」
橋川さんは床に煙草を落とし、靴のかかとで踏んづけるとナンをちぎって口に入れた。
「グラフィックデザイナーさんですか。僕はまたミュージシャンの方かと思いましたよ。」
自転車君が無邪気な顔を橋川さんに向けた。
「えっ、そう見える?なら、これからミュージシャンだって言っちゃおうかな。でも、ミュージシャンだったらあんまりこんな所に来ないんじゃない?しかも4回も。」 「はぁっ、カシュガル4回目ですか!」
島本君が目を丸くする。
「好き好んで・・・ですか?」
自転車君も後を続けた。 「そう、好き好んでだよ。頼まれて来たわけないじゃん。やっぱりさ、なんかこう、惹きつけられるんだよね、カシュガルってさ。」
橋川さんはぽんぽんとナンを口に放り込み、クリクリパーマをさっと掻き上げた。それから僕のほうに向き直った。
「ねえ、戸田君はあとどのくらいカシュガルにいるの?」 「うーん、まだわかりません。でもあと2,3日は確実にいますよ。お二人は?」
僕は島本君と自転車君にも聞いてみた。
「僕は体が治り次第出ますよ。あと2日くらいかな。」 「僕は1ヶ月くらいいるかもしれません。どうせ学校が始まるのは9月からですし、カシュガルをもっと知りたいですし。」
島本君は大きな目をくるくるっと輝かせた。
「いいなあ。僕も1ヶ月くらい浸りたいよ。なんかおもしろいことがあったらさ、君、島本君だっけ、教えてよ。えーっと、ずっと其尼巴合(チニバー)のドミにいるの?」 「ええ、まあそうなりますか。」 「そっちのドミはいくら?」 「10元です。」 「ふうん、色満(スーマン)より2元安いね。」 「あ、でも、大部屋ですよ。色満は3人部屋でしょ。」
僕が割って入った。
「うん、まあね。値段を考えれば其尼巴合(チニバー)にすればよかったかなとも思うけど、色満(スーマン)は僕の常宿だからな。それにほら、其尼巴合(チニバー)ってパキスタン人多いじゃない。あいつらやばそうじゃん。」
橋川さんが言うなり、僕ら其尼巴合(チニバー)組はぷっと吹き出してしまった。きょとんとしている橋川さんにさっきの島本君の災難を説明すると、今度は4人して大笑いになった。
「やっぱりね、そういうことあるんだ。いやぁ、君、可愛い顔してるもの。」
橋川さんが島本君の顔を指さしながら言った。
「よしてくださいよって。」
とんでもないというふうに島本君が手を振って制した。
「あいつら本当に困っちゃうよね。イスラムの戒律が厳しくて女の子の顔もろくに見られないってのには同情しちゃうけどさ、それでホモ化しちゃうのはちょっと問題だよね。僕がパキスタンにいる時だって、さんざんその話。」
橋川さんはそこまで言うとおかしそうにクスクス笑った。
「どういう話です?」
僕ら3人は身を乗り出した。
「ペシャワルにいる時ね、僕と同じ宿にいた日本人の野郎が告白してね。そいつ、可哀想にホラれたんだって。どこって言ってたかなあ、ああ、確かラホールでパキスタン人にコーラもらって飲んだらしいよ。そしたらその中に睡眠薬が入ってて、気がついた時にはもうヤラれちゃってたそうだよ。その時日本人の連れがいたらしいんだけど、あ、勿論その連れも男ね、二人とも睡眠薬入りコーラを飲まされちゃってダブルでヤラれたわけでさ、凄いショック受けてたよ。」
僕は日本男児にのしかかるパキスタン人の姿を想像し、背筋が寒くなった。
「へえええ。気の毒ですね、その人。立ち直れるんですかね。」
自転車君が眉をひそめ、同情を寄せた口調で言った。
「どうだろうねえ。泣いてぶちまけてたくらいだから、少なくともしばらくは癒えないんじゃない、心の傷はさ。」
顎に手をやり、橋川さんは考え込むような顔つきになった。
「でも、おかしいですね。オカマ掘られたんでしょ。恥ずかしい、情けない体験なわけですよね。それを他人に平気でペラペラ喋っちゃえるんでしょうかね?」
島本君がちょっと疑り深そうに首をかしげ、橋川さんを横目で見た。
「ああ、だってさ、僕たちこれやってたんだよ。」
橋川さんは両手の平を合わせて口の前で膨らませるとハシシを吸う真似をしてクスクス笑った。
「これもんだからね、神経が高ぶっちゃうじゃん。正常じゃなくなるからさ、もうどっと洗いざらい白状しちゃうわけよ。」
ブログランキング【くつろぐ】
ブログランキング
ブログランキング
|
|