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【パキジャン達】 その2
「そんなに咽せるほど笑わないでくださいよ。気色悪かったですよォ。女の子にキスしてもらうんなら嬉しいですけど、パキの男にキスされても気持ち悪いだけですよ。ああ、不愉快なモーニングキッス!」 島本君はさも嫌でたまらなかったという顔をしてみせ、舌を出した。
「それで、そのパキ男に何か言ったの?」 「なんもかもないっすよ。びっくりして飛び起きたら、そいつ『グッモーニン、ハブ アナイス デー』って手を振って出ていっちまいましたから。」
ベッドから半分身を起こし、呆気にとられてそのパキスタン人を見送る島本君の姿を想像し、僕はまた横腹が痛くなるほど笑った。肩でひいひい息をしている僕を、島本君はぶすっとした調子で見て言った。
「もう、戸田さん、そんなに悶絶しないでくださいって。他人事だと思っているでしょう。」
その時だった。僕の隣のベッドからクスクス笑い声が聞こえた。部屋に入ったときは島本君一人だけかと思っていたのだが。
「すみません。おかしくてつい・・・・」
その声の主は体をすっぽり覆っていた掛け布団から顔を覗かせた。日によく焼けた骨張った顔に切れ長の細い目が印象的な青年である。彼はイガグリ頭をちょっと振って布団から抜け出ると、ヨッとかけ声をかけて起き上がった。
「あれ、今日ここに着いたんですか。」
初めて見る顔なので、自然にこういう言葉が出た。
「いえ、昨日の夜7時ごろかなぁ、チェックインしたのは。」
ということは、夕べも彼は僕の隣にいたわけだ。なんだ、ちっとも気づかなかった。
「でもずーっと寝てたんです、疲れちゃって。」
彼はだるそうに体をベッドのパイプにもたせかけている。その声には力がなかった。確かに彼の様子からしてかなりの疲労度が窺えた。体のどの部分をとっても、気の毒なぐらいぐったりしている。それにもともとの体質だろうか、まるで骨に筋肉が絡まっただけのような体格だ。スリムの域を通り越している。こんな体つきが一層我々の同情を誘う。
「何かあったんですか?」
今度は島本君が聞いた。
「パキスタンから来たんですよ、これで。」 彼は自分のベッドに立て掛けてあるグレーのビニールカバーにくるんだ大きな荷物を指さした。自転車だ。
「チャリで来たんですか!バスに乗らずにチャリだけで!?」
僕は彼の顔と自転車を代わる代わる見た。
「あの、最初これを持って日本からイスラマバードまで飛んだんです。ずっとフンザに向かってこいでったんですけど、カリーマバードでついにぶっ倒れちゃって。暑さでまいってしまったんですよね。ペダルのひとこぎひとこぎも辛くなるほどで。まあ何とかパスーまでは行けたんですが、その後生水を飲んだのがダメだったみたいで、ひどい下痢しちゃったんです。」 「ああ、そりゃダメですよ。水には気をつけないと。」
島本君が話を切った。
「ええ、で、くたばっちゃって、もうしょうがないからパスーからはずっとバスで来ました。本当は中国に入ってピラーリあたりからでも自転車こぎたかったんですけど、ダメでした。」 「ふうん、まあ無理しないほうがいいですよね。で、下痢のほうは治ったんですか?」
僕は彼の顔をまじまじと見つめた。
「まあ、下痢は治まりましたけど、体はすっかりガタガタになっちゃって。」
無理もないだろう。夏のパキスタンは暑いなんてもんじゃない。昼間は平気で40度を超えてしまうのだ。そんな中をひたすら自転車で走ったら当然体もばてる。しかもパキスタン北部の道は相当険しい。
「まあ後はここからウルムチへ行って、それから上海に直行です。そしてすぐ日本に帰ります。目的はイスラマバードからカラコラムハイウェイをサイクリングすることでしたから。ああ、よっこらしょっと。」
彼は再びごろんとベッドに寝っ転がった。
彼のようにマウンテンバイクでカラコラムハイウェイを走ろうとする旅人は少なくない。僕もこの道をバスでではあるが通ってきた。誰もが声を上げて誉め称えるという噂通り、その景色たるや絶賛に値するものだった。日本では拝めない7000メートル級の山々を見られるのだ。鮮明な青空に映える雪山と、手前に連なる尖った黒い山。谷間を渦巻くようにして轟々と流れる灰色の河。男性的な凛々しい自然がこれでもかこれでもかというくらいに覆い被さってくる。山が好きな人間にとっては涎が出そうな、或いは嬉し涙が出そうな景観のオンパレードだ。カラコラムハイウェイだけで1冊のガイドブックがあるほど、中国とパキスタンを結ぶ道沿いというのは魅力に満ちている。誰かが「天国の道」と行っていたのも頷ける。ここでペダルをこぎこぎ大自然の中に自分を埋め、周りの美しい世界を独り占めできたなんて、やはり贅沢なことなのだ。こう考えるとくたばったとはいえ、彼は幸せ者である。
「いやぁ、さっきの話ですけど、僕全然気がつかなかったなあ。ぐっすり寝てたから。パキスタンの男にホモが多いって本当だったんですね。」
イガグリ頭の自転車君はまたクスクス笑った。
「あ~あ、気色の悪い。」
島本君は自分の右頬をピチャピチャ叩いた。
「割と有名な話だよ。イスラム圏の男にホモが多いってのはね。」
僕はつい知ったかぶりの口調になってしまった。長期旅行をしている人間にありがちな、偉そうに喋る態度であった。これはいけないと思い、はっと口を押さえ、反省気味に下を向いた。こういう僕の仕草が自転車君の誤解を招いた。
「あのう、いろいろご存知のようですけど、何かそういうご経験でも・・・」 「いや、いやいや、ないよ、ないよ。だって、ほら僕はこうして無精髭を生やしているだろう。」
僕は慌てて手を振り、自分のむさ苦しい顔を撫でた。
「髭、生やしてなきゃまずいんですか?」
自転車君はドキッとしたようだった。彼には髭がなかった。
「うーん、どうも連中の好みはむんむんした男臭い男よりも、ツルツルした肌の可愛らしいタイプらしいよ。パキスタン人って髭が濃いだろう。自分達にないものを求めているんじゃないのかな。ま、よくわからないけどね。」
旅行者同士で話していることを簡単にまとめて言ってみた。が、実は僕もパキスタンのラホールでその気の男から顔を撫で回された経験があるのだ。その時僕は髭をきれいに剃っていた。それからだ、そらずに伸ばしているのは。
「やっぱりやばいですかね、髭がなかったら。まいったな、僕、薄いんですよね。」
自転車君が真剣に悩み始めた。
「大丈夫じゃないですか。パキスタンで何ともなかったんでしょ。」
島本君が自転車君を見た。
「ええ。まあ、結構僕みたいなサイクリングツーリストと一緒になったこともあったからかな、狙われるような場面ってなかったですからね。うーん、それとも単に、僕はそのう・・・タイプじゃないのかもしれないなぁ。」 「いやぁ、わかりませんよ。なんなら今夜、僕とベッド変わってみますか。隣の野郎に迫られるかどうか試してみてはどうです?」
島本君が悪戯っぽく笑った。
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【パキジャン達】 その1
ホテルの門を入ってから客室の建物まではやや距離がある。そこそこの大きさの広場になっているためだ。今ここでちょっとした騒ぎが起こっていた。この其尼巴合(チニバー)ホテルの広場から一日に一本パキスタン行きのバスが出るのだが、今がちょうどその時であった。
バスが出発する時、広場はいつもごった返した状態になる。バスに乗る人とその荷物で溢れかえるのだ。ある人はホテルの玄関前にある噴水池の周りに座り込み出発の時を待っているし、またある人は荷物をバスの上にせっせと積んでいる。7月は旅行シーズンでもあるから、バックパッカー達が大勢パキスタンへ抜けていく。乗客の半分以上がこのような旅人だ。そして商売を終え、故郷の町へ帰っていくパキスタン人も多く乗り込む。このパキスタン人の荷物が恐ろしく多い。たいていバスの屋根の上にのっけるだけじゃ収まらないほど夥しい数なのだ。旅行者が増えるこのシーズンはだいたい2台か3台のバスが同時に出発するのだが、そのうちの1台はパキスタン人の荷物専用になってしまう。普通バスに乗るのは人間なのだが、バス内に見えるのがめったやたらと積み上げられた麻袋とか木箱だったりするのだから、何とも奇妙である。
乗客は待ちくたびれている。新彊では定刻通りにバスが出ることは稀に等しい。1時間や2時間遅れるのはざらだ。腕時計を見ながら嘆息している旅人がいるところを見ると、今日も例外ではないようだ。
突如広場は騒然となった。運転手が現れてバスの扉を開けたのだ。乗客達は扉へ殺到し、バスの中へと雪崩れ込んだ。西洋人、香港人、日本人のバックパッカー達、そしてパキスタン人達がそれぞれ我先に乗り込もうとし、扉付近は秩序のない押し合いへし合いの状態となった。人間の本性というか欲望丸出しの場面である。こういう場合はマナーもへったくれもないのだ。所詮人間は本能のままに行動する動物に過ぎないのかもしれない。
乗客達の席取り合戦を見届けてから僕はホテルの中へ入った。ロビーではいつものようにパキスタンの男達がたむろしている。シャルワルカミースといわれるダブダブしたパジャマのような民族衣装を纏ったその一団にはなんとなく近寄りがたいものがある。
僕はカシュガルへはパキスタンからからコラムハイウェイをバスで走り、フンジェラーブ峠を越えて入ってきた。だからパキスタン人なんて見慣れているはずだった。さんざん現地で彼らの姿を見てきたのだ。それなのに中国へ来ると、彼らはもはや異質な人間に映る。
彼らの座っているソファーの後ろを通り、バーのカウンターでミネラルウォーターを買った。なんだかやたらと喉が渇く。ここはもともと乾燥している地域だから十分水分を摂らないといけないのだが、今日は心身共に正常ではないからなのだろうか、さっきから喉が干涸らびたように感じる。
「体にたっぷり水を染みこませて横になるとしようか。」
独り言をいいながら服務員に金を払った。
ふと視線を感じて後ろを振り向いた。パキジャンの一団が皆口元に微かな笑みを浮かべてこちらを見ている。僕はずっと見つめられていたのだ。
「ハロー、ジャパニー!」
一人が馴れ馴れしく声をかけてきた。やれやれパキジャンのちょっかいがまた始まったか。僕はちょっと右手を挙げて答えただけで、彼らの視線から逃れるように足早に螺旋階段を駆け上がった。
三階に僕の泊まっているドミトリーの部屋がある。壁沿いにぐるっとパイプベッドが15台置いてあるだけの大部屋だ。このホテルでは外国人が『ドミトリーを』と言えば、男も女も、国籍も関係なくこの大部屋に入れられる。ベッドの並べ方だけを見ると、病院の大部屋のような感じだが、実際はもっとごたごたしている。窓の取っ手や窓枠の出っ張りを利用してロープを張り、そこにずらっと洗濯物を干しているし、部屋の中央の小さな机の上には水筒とかホーローカップとか、石鹸、歯磨き粉、歯ブラシ、シャンプー、食べさしのビスケットに至るまでごちゃごちゃ置いてある。床にはスリッパやビーチサンダルが脱ぎ捨てられ、ベッド脇には土埃にまみれてきたバックパックが立て掛けられている。バックパックの主は観光に出かけていたり、ベッドの上でごろ寝していたりと様々だ。
「やあ、おかえりなさい。」
部屋のドアを開けると島本君の声がした。窓側に面したベッドの上であぐらをかいて、何か読んでいるところのようだった。彼は一人の時、たいてい本か雑誌を上手く調達してきて読んでいる。
「僕、今起きたところなんですよ。」
島本君が人懐っこく笑う。
「僕はこれから寝ようと思って。」 「もうどこか回ってきたんですか。」 「いや、行こうと思ったんだけどなんだか今日はノラなくてね。」
僕はペットボトルの蓋をねじり開け、ミネラルウォーターをがぶがぶ飲んだ。
「ああ、もう11時ですね。」
島本君は大きな欠伸をしながら言った。 「え、1時過ぎだろ。」 「いえ、僕の時計、新彊時間に合わせてあるんです。あ、よっこらしょっと。」
島本君はあぐらを崩してビーチサンダルを履いた。
新彊には2種類の時間がある。北京タイムと新彊タイムだ。アメリカやロシアのように国内に時差を設けず、中国全土では北京の時間が適用されている。しかし北京時間で生活するには新彊では不便なのだろう、それより2時間遅れの新彊タイムというのも使われている。夏場の北京時間というのは日本と時差がない。日本と中国の西の果てカシュガルとが同じ時間だなんて無茶な話だ。カシュガルでは北京タイムだと夜の12時でやっと日が沈むのだから。
「いやぁ、実はさっきね、まいっちゃったんですよ。」
机の横に置いてあるタンクの蛇口をひねり自分のコップに湯を注ぎ終えると、島本君が言った。
「夕べから僕の隣にパキスタン人がいるんですよ。」
彼は左側のベッドを指さした。 「さっきね、目が覚めかけて左に寝返りを打ったんですよ。その瞬間、右のほっぺたに何かくっついたような感じがして目を開けてみたら、隣のパキスタンの野郎がキスしてたんですよ。」
僕はミネラルウォーターを吹き出してしまい、腹を抱えて笑った。笑いすぎて水が気管に入り、咳き込んだ。
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【ウイグル人の町】その2
「ウイグル人って優しいのんか意地悪やのんか、僕わからへんなあ。」 首をかしげて池上君が素っ頓狂な声を上げた。
「いやあ、少なくとも漢族よりはいいね。」 浩二さんが静かな声でそれに答えた。
「そうかなぁ。新彊に来たときはウイグル人っていいなあって思ったやけど、なんやだんだん胡散臭うなってきたわ。」 池上君はテーブルから喀什(カシ)ビールの瓶を取り、豪快にラッパ飲みした。
「何かあったの?」 僕は聞いた。
「だってひどいんですわ。今日サンデーマーケットへ行こう思って、そこの前からロバタクに乗ったんすよ。」 ホテルの門を指さしながら池上君は続けた。
「サンデーマーケットやって言うたら、ウイグルの小僧、うんうんって頷いたからわかったんやと思ったんすよ。値段も5角って確認したんですわ。でも結局あの小僧わかっとらへんかったんや。着いた所は変な公園やったんです。そやから違うやないか言うて、サンデーマーケットやでって何回も言うたんですよ。ほんならまたオーケーオーケーって言いよって、今度はエイティガール寺院に戻ってきて止まったんすよ。ここや、降りろやて。あの小僧、わかってへんくせに乗せるだけ乗せよってん。ガキやし、しゃないなあ思って地図見せたり、通りかかりの人に言うて小僧がちゃんと把握してくれるように助けてもろうたりして、やっとこさサンデーマーケットに着いたんです。ほんで降りる段になってあの小僧、5元払えって言うんですよ。無茶苦茶やわ。最初の言い値の10倍ですやん。いろいろ回り道したからやって、ジェスチャーで説明するんですわ。」
「それで5元払ったの?」 浩二さんが気の毒そうな顔で池上君を見た。
「最初の10倍につり上げられたんすよ。僕かって腹立ちますやん。始めに言った通りの5角を荷台に叩きつけて行こうとしたんです。そしたらその小僧、僕のTシャツの裾引っ張って放さへんのです。5元や、5元や、5元出せって喚いて。ほんならだんだん人が集まってきて、なんやなんや何の騒ぎやってなったんです。小僧のヤツ、まるで僕を悪者みたいに指さして周りのウイグル人に訴えるもんやから、僕、睨まれること睨まれること。変な騒ぎになったら嫌やし、皆怖い顔してこっち見るし。しゃあないやないですか。渡しましたわ、5元。あの小僧、金ひったくってロバタクに飛び乗ったら僕の顔見て、ニタッと笑うたんです。ガキにやられてもたわ。」 池上君はまたビールをあおった。
「ふうん、してやられたね。」 僕は同情した。
「小僧のほうはしてやったりですね。でもまあ、よくあることですよ。この辺のロバタクのガキは外国人からぼったくる味を占めてますからね。」 さっきから黙って聞いていた島本君が口を開いた。
「やられた方はいい気しませんわ。ほんま、ショウワルや。」 池上君はむくれてもう1本ビールの栓を開け、ゴクゴク飲んだ。
「僕は漢族のほうが性悪だと思うよ。だってさ、店員一つとってもさ、ひでぇ態度じゃないか。つりは投げてよこすしさ、何でも没有(メイヨウ)って怒鳴りつけるしさ、こっちは何にも悪いことしてないのにさ、怒んなくったっていいだろう。」 今度は浩二さんの声のトーンが高くなった。
「でも、ここかてウイグル人の店員愛想悪いですし、金投げてよこしますやん。」 池上君が挑むように言った。
「それは全部漢族のせいだよ。例えばウズベク族ってここにもパキスタンにもいるだろう。中国のウズベクとパキスタンのウズベクは違うよ、人に対する接し方がね。漢民族の影響を受けて中国の少数民族は悪くなったんだよ。まったく漢民族が諸悪の根元だね。ホント好きになれないよ。」 浩二さんは足を組み替えて説明した。
「確かに漢民族もえげつないですよね。ほんま、僕中国に来たばかりの時って、こいつらみんなくたばってしまえって思いましたもん。でもハンズー(漢族)から今日みたいなこないにひどいぼられ方されたことありませんでした。ウイグル族はフレンドリーやって聞いてたのに僕、見方が変わりましたわ。」 池上君は今日のことがよっぽど悔しかったようだ。
「ま、ハンズー(漢族)がいいとか悪いとか、ウイグル族がいいとか悪いとか、一言では言えないよ。」 僕は思った通りに言った。
「とにかくハンズー(漢族)ってのは少数民族に嫌われる運命ですよね。ハンズー(漢族)、ウイグルに限ったことじゃなく、隣り合ってたり共存してたりっていう異民族同士は仲が悪くて、いがみ合ったり反目し合ったりしてるじゃないですか。ウイグルってのも民族意識が強くてよそもんなんて嫌いですからね。自分たちが一番って思ってるところがありますよ。だからすぐ近くにいるハンズー(漢族)に抵抗する。でもこれってたまたまそばにいたのが漢族だったからで、もしフランス人がここ一帯に住んでいたら奴らフランス人の悪口を言うだろうし、日本人だったら日本人の悪口を言いますよ。」 島本君が実に落ち着いた感じで語った。この4人の中で彼が一番冷静に物事を見ているようだ。18歳とは思えないほどである。
「旅に出たら我々旅行者は必ずぼられるんだよ。ま、5元だけですんだんだからいいほうだと思っときなよ。ウイグルだけじゃないよ、外人と見たらぼったくろうっていう連中はさ。特に俺たち日本人なんていいカモなんだ。」 浩二さんは慰めついでに蜜桃汁(ピーチジュース)の栓を抜いて勧めた。
「うん、これも一つの経験だよ。勉強代だと思ったら気も楽になるよ。」 僕も浩二さんに続き池上君の肩を叩き、彼が手にした蜜桃汁(ピーチジュース)の瓶に自分のホーローカップをカチンと当てた。
二日酔いの頭の中で、何故かぼんやりと夕べの僕らの会話が再現された。‘漢族’と‘ウイグル族’の言葉が交互に点いたり消えたりして、やがてどちらも消えていった。 「チャイ チェムシェス(お茶、飲む)?」 店の少年の声でふと我に返った。 「ありがとう。もう行くよ。」 僕は立ち上がり、ポケットをひっくり返して小銭を探り出し、親父に渡した。 「またな。」 歯切れのいい声で親父が言う。 「ごめんよ、親父。今日は二日酔いなんだ。腹の具合がおかしくて残しちゃったけど、明日はちゃんと食べるからね。」 「どうせそんなことだろうと思ったよ。二日酔いくらいでくたばるんじゃないぜ、お若いの。」 親父はバシンと僕の背を叩くとにっこり笑った。
僕はホテルへと引き返していった。町歩きをするような気分じゃない。頭もクラクラするし、胃ももたれている。でも、出歩きたくない理由は体の具合のせいだけじゃない。考えすぎて気が重くなってしまったのかもしれない。もうしばらくベッドで横になっていたほうがいいような気がする。 『ほら見てみろ、ハンズー(漢族)の奴らをよ。あいつらみんなアホウだろうが』 親父の声が頭の中でエコーし、何度も何度も繰り返される。こびりついてしまって離れてくれない。何故だ。 しかし、漢民族がアホウなら、大学を1年休学してアジアをふらふらほっつき歩いている僕のような旅人はいったい何なんだろう。
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