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中国大陸をほっつき歩いた旅記録です。
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新彊野宴(シンチャンバンケット)
新彊野宴(シンチャンバンケット)

 【ウイグル人の町】その1

 夕べ3時過ぎまで同室の連中と飲んで騒いでいたお陰か、今日はどうも胃の具合がすっきりしない。いつもなら難なく平らげられる拌麺(バンミエン)も半分近くを余して箸を置いてしまった。折角のマトンも虚しく皿の上に残っている。

「おい、なんだ!お前、肉を食べてないじゃないか!」

 ウイグルの店の親父が責めるように僕を睨んだ。そういう訳じゃないんだと言おうとするより早く親父の方が先に口を開いた。

「羊を食べなきゃダメだぜ。食べられん奴は男じゃない。それともお前は豚肉の方が好きなんかい。

豚なんてな、うまかないぞ。第一豚肉なんか食べていたらアホウになるんだ。」

「本当かい?」

 親父の余りに突飛な発言に僕は飲んでいたチャイ(お茶)の碗を置き、親父の顔を覗き込むようにして聞いた。

「そうともよ。だからほら見てみろ。漢族の奴らをよ。あいつらみんなアホウだろうが。」

 親父はニヤニヤしながら言うと分厚い肉切り包丁を振り下ろし、羊の胸肉をぶった切った。逞しい親父の太い腕にかかったら、肉も弾けるようにスパッと切れる。大きな肉塊が次々と切断されていく様は見ていて小気味よいくらいだ。僕は残りのお茶を啜りつつ、その包丁裁きをぼんやりと眺めた。

 ウイグル人は概して漢民族が嫌いである。ウイグルに限らず中国国内の少数民族はたいてい漢民族の悪口を言う。そりゃまあそうだろう。僕だって少数民族の立場だったらと考えれば納得がいく。

 この広い中華人民共和国を牛耳っているのは漢民族だ。国の中心となり実権を握っているのは漢民族であり、これに対して他の民族は文字通り少数だから漢民族の支配下に置かれる形となる。それで各民族には民族の言葉があるにしても、公用語は中国の国語である普通話(北京語)を使わなければならない。

 ここカシュガルもそうである。カシュガルは新彊ウイグル自治区にある最も西の大都市だ。ここまで来ると東洋と西洋が入り混じったような顔の民、ウイグル族が多数を占めているのがわかる。実にシルクロードの雰囲気がたっぷり、エスニック気分の漂う町なのである。が、人民路を歩いていると白くてばかでかい毛沢東の像が勝ち誇ったように立っているのが見える。それでここは確かに中華の国なのだと認識させられる。ここは漢民族が作った国なのだと強調するかのように、毛沢東はカシュガルで睨みをきかせているのだ。 

 遠い昔からウイグル族達が住み続けてきたこの辺り一帯にいつしか国境が敷かれ、ここから東は中華だと決められた後、漢民族のやり方で自分たちのエリアを治められたらいい気がしないのも当然だろう。
 
 親父の言葉でウイグル人が漢民族に対してどんなに反発心を抱いているか改めて知らされた。
 
 カシュガルに来て10日になるが、この店の人とはすっかり顔馴染みになっている。ここはホテルのすぐそばにあってたいそう便利な食堂なのだ。
 
 夜はたいてい同じドミトリーの旅仲間とビールを飲みながら明け方近くまでとりとめのない話をするので、必然的に朝は遅くなる。目覚めたところで暇な旅人の身だ。やおらベッドから起き上がり、一日の行動をぼちぼち考え始める。考えながら部屋を出、ホテルの入り口を出、「乗れ乗れ」とうるさく喚くウイグル小僧達のロバタクシーをかわして右へ曲がる。と、親父の店がある。腹も減っているから自然と足は店へと向かう。こういう訳で起き抜けにはたいていここへ来るのだ。

 店の人達はいやでも僕の顔を覚え、そのうち向こうからいろいろ話しかけてくるようになった。彼らは専ら中国語を使って話しかけてくる。民族の言葉であるウイグル語を解する外国人旅行者なんてめったにいないってことが彼らにはわかっているのだろう。僕も一応大学では第二外国語で中国語をやっているのだ。少しはコミュニケーションがとれる。 

 10日店に通えば僕らはもうポンヨウ(朋友)だ。少なくとも一見の客よりは僕の方がランクは上だ。それでなのだろう、親父は結構親しげに声を掛けてくれる。僕はたいていここで拌麺(バンミエン)を食べる。羊を食べつけない日本人としては、ウイグル料理のこの皿うどんが最初のうちこそしつこ過ぎると感じるが、慣れると美味いと思うんだから不思議なものだ。僕が拌麺(バンミエン)を食べていると、親父が横から「美味いか」とか、「他に何かいるか」とか聞いてきた。僕もそれにいちいち答え、また店のメニューについて質問したりするから、ここ2,3日で親父の口数も増えた。威勢のいい店の兄ちゃん達も人懐っこく笑いかけ、

「ヤポンルック(日本人)、ヤクシ!」

 なんて親指を立てて言うこともあった。‘ヤクシ’はウイグル語で‘よい’という意味だ。まったく商売人のおべんちゃらってのは世界共通だである。

「じゃあ君達ウイグル人はどうなの。」
「もちろんヤクシさ。ウイグル人はヤクシ。ヤポンルック(日本人)もヤクシ。漢族はヤクシじゃない。」 

 こういうやりとりがあったのがおとといのことだ。僕と彼らが接近すればするほど彼らは本音を出してくる。そして今日は親父の『漢族はアホウ』発言だ。
 
 僕はチャイの碗を手に持ち、中を覗きこんだ。チャイの表面に薄く油の膜が張っている。オンザロックを飲むときのように手のひらで碗の下を支え、軽く揺すってみる。油の膜も表面上で不規則な対流をなして揺れ動く。底の方に溜まった茶の葉も鬼ごっこをするかのようにチャイの中をクルクル駆け回る。
 
 違う民族が同じ所に住むというのはやはり難しいのだろうか。インドでもスリランカでもこれと似たようなことに遭遇し、同じようなことを考えた。僕はふっと溜息をつき、碗にチャイを注ぎ足した。


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アジアぶらぶら顛末記
アジアぶらぶら顛末記 ネパール編

 その2【ポカラの父上様】

 カトマンズでの意外な展開に見切りをつけ、荷物をまとめてバスに乗った。行き先は観光地として有名なポカラである。ポカラで更にネパールの‘詐欺師’容疑が深まるのか、それともネパールの神に救われるのか、賭けたいような気持ちになった。

 ポカラの町はメインストリートの両脇にゲストハウスとレストランが建ち並ぶ、絵に描いたような観光地だった。バスを降りたとたん大柄の男に通りの端っこに位置するゲストハウスへ否も応もなく連れて行かれた。男はゲストハウスのオーナーだった。ポカラでは当ゲストハウスでおくつろぎくださいというようなことを言われ、カウンター上の登記簿にサインさせられた。どうやら乗ってきたバスの会社とグルらしい。旅人にゲストハウスを選ぶ権利が与えられないとは不愉快だ。こんな姑息な手を使うなんて甚だおもしろうない。ふん、気に入らなければ出ていきゃいいや。そう思ってまずはこの宿にチェックインした。

 大観光地のポカラには欧米の旅行者や、香港、韓国、台湾、我が同胞日本の旅行者が数多くいた。しかしながら私が泊まっているゲストハウスには私の他に欧米系の男性2名しかいないようだった。皆どこに泊まっているのだろう。まあ、これだけたくさんゲストハウスがあるんだから、それぞれ分散しているんだろうな。宿の商売も競争なんだなぁ。ああ、だからなのか、ここのオーナーが私に対して始終にこやかで愛想がいいのは。大仏様のような天然パーマ、口髭を生やした太めの親父さんだが、見た目の迫力と違いとても優しい。部屋の設備も悪くないし、結局ポカラの一週間をこのゲストハウスで過ごしたのだった。

 このゲストハウスに来て3日ほど過ぎた時、オーナーが手招きして話しかけてきた。

「1階のあの部屋にあなたと同じ日本人が泊まっているよ。」

 私が寂しそうにしているとでも思ったのか、こう教えてくれた。確かに1階のフロントに一番近い部屋に背の高い男性がいた。ロビーですれ違ったときに声を掛けてみたら、間違いなく日本人だった。彼も一人旅らしく、話し相手もいなさそうだったので自然と二人で話すようになった。男性は富山県の人で、タイからネパールへ入ってきたと言った。あ、タイなら私も行ったことがありますよ、とタイ話に花が咲き、次の日もロビーで話し込んだ。

 ある時、一緒に晩ご飯を食べに行こうと約束したので玄関の所で『富山』さんを待っていたら、オーナーが近づいてきた。

「あのう、その・・・あんまり知らない男の人と仲良くしすぎないようにね。あいつの部屋に入り込んだりしちゃいけないよ。」

 オーナーの言葉にしばし呆気にとられたが、その後おかしくなって吹き出した。まるで自分の娘に忠告する父親のような台詞じゃないの。なんだか、赤ずきんちゃんになったような気分だ。それに第一、『富山』さんのことを教えてくれたのは当のオーナーなのにねぇ。だけど、ちょっぴり嬉しい。オーナーは心配してくれているのだ。オーライ!そこんところはちゃんと気をつけますよん。

 ポカラ4日目のこと、体調を崩して寝込んでしまった。舗装されていない道路を車が通る度物凄い土埃が立つのだが、それを吸い込みすぎたせいなのか喉がいがらっぽくなり、熱が出、ついには吐いてしまった。医者に行って薬をもらい一日寝ていたが、やっぱり何か食べなきゃもたないだろうと思い、白粥を作ってくれるようオーナーにお願いしてみた。

「オーケー、すぐ作るよ。できたら部屋に持って行ってあげるからね。」

 オーナーは快く承諾してくれて、1時間後にまっ白なお粥を持って来てくれた。このお粥のお陰と薬の効果でその後回復し、翌日の午後にはすっかり元気になった。
 その日の夜、晩ご飯を食べにゲストハウスを出ようとしたらオーナーが呼び止めた。

「キッチンでご飯食べない?」

 え、どういうこと?恐る恐るキッチンに入っていくと、オーナーの親戚だという女の子が二人いて、どうぞと手前の椅子を指した。それに腰掛けしばし待つ。ほどなく給食のプレートのような平たい器にダルバート(ネパールの家庭料理、豆スープとご飯のセット)を盛って目の前に置いてくれた。私は彼女らとともにダルバートをいただいた。レストランで食べるダルバートよりも豆が多く、マイルドで優しい味だった。女の子二人はさすが食べ慣れたもんで、指で上手にご飯をすくい、ひょいひょい口の中に運ぶ。彼女らの手の動かし方はダイナミックでリズムカルであったが、それが妙に優雅に感じた。大きな動作はなんだか作法のようにも見え、彼女らの着ている質の良いサリーが更に食べ方を品位あるものにしていた。ネパールの小笠原流かしらん。私も彼女らを真似してみたが、ご飯をこぼしちゃうわ、すくいそこなうわでうまくいかない。女の子らは私がダルバートと悪戦苦闘している様を見てキャラキャラ笑った。結局ギブアップしてスプーンをもらうことになってしまったのだが。

 食事の後オーナーが聞いた。

「おいしかった?」

 ええ、とっても。

「じゃ、今度からここで食べればいい。ここだったら安心だよ。もう病気にはならない。」

 オーナーは私の体の具合を心配してくれていたのだ。気を遣っていただき恐縮至極。本当にかたじけないことだ。この日からポカラを去る日まで夕食のときはキッチンでご飯を食べることとなった。本当だったらお金を払わなくちゃいけないところなのだが、いいよいらない、とオーナーは受け取らない。なんだかここの家族の一員になったようだった。

 いよいよポカラ最終日。次はグルカに行く。公共のバスに乗ることにしたはいいが、どこにバス停があるのかわからなかった。オーナーに聞いても知らない様子。そうか、困ったな。すると、

「じゃ、探してみよう。心当たりはある。たぶん・・・あっちだ。」

 オーナーは自分のバイクを出してくれた。後ろに乗せてもらい、彼が知っているというバス停に行った。しかしそこはバスも人も少なかった。

「ちょっと待ってて。聞いてみるから。」

 オーナーはそこら辺の人にグルカ行きのバスについて尋ね回った。私はその間リュックを背負ったまま立って待っていた。

 突然背中にぐっと重みを感じた。急にリュックが重くなったのだ。どうしたんだろう。後ろを振り返ってギョッとした。大きな犬が前足を私のリュックの上にのっけ、後ろ足で立っているではないか!でっかい犬だ!背の高さが私と一緒だ。顔と同じ高さに犬の顔がある。きっと真横から見たら前へならえの姿勢になっているんだろう。リュックを揺すって犬の前足を振り落としたのだが、ヤツはまたひょいっと前足をリュックにかけ、後ろ足で立つ。よっぽど気に入られたのか。こらこら、私は雌犬じゃないぞ!犬に間違えられるとは情けない!あー犬め!いい加減にせんか!もう一度リュックを揺すぶった。が、犬はしっかりと爪をひっかけているのかびくともしない。

 その時オーナーが戻ってきた。犬が私にしなだれかかっている様子を見るや、血相を変えて走ってきた。そして何か大声でわめきながら犬の頭をポカポカ殴った。さすがの犬もゲンコツで叩かれたらたまらない。悲しそうに逃げていった。

「バス停はここじゃないみたいだ。急いで!」

 オーナーは再びバイクを走らせて正しいバス停まで連れて行ってくれた。そこにはたくさんのバスが停車していて、大勢の人がいて、多くの家畜も連れられていた。今度は間違いなさそうだ。私はオーナーにお礼を言った。

 「またポカラにおいで!気をつけて!」

 丸い目を細め、口髭をピクンと上げてオーナーは手を振った。本当に本当にダンニャバード(ありがとう)。こんなにお世話になったのに上等な挨拶ができなかった。グルカへ向かう小型バスの中で他の乗客やヤギとともに揺られながら反省したが、もうどうすることもできない。ネパールに来たばかりの時には出逢えなかった神様に、ここポカラで出逢えたような気がした。オーナーのお父さんのような優しさが雪をかぶったマチャプチャレと同じくらい印象深く残るだろうな。、ずっとずっとヒマラヤの万年雪のように消えないだろうな。

 ヤギがバスの中でジャーッとおしっこをたれた。おしっこが飛び散ってそのハネがジーパンの裾についた。これもついでに記憶の中に残しておこう。シミのように。


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