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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 ネパール編
その1 【本当に神の国なのか】
旅行会社のカウンターでパンフレットをあれこれむさぼり読んでいたら、ネパール旅行のパンフレットにはやたらと魅力的な言葉が踊っていた。“世界の屋根に眠る神々の国”とか“旅人に優しい癒しの国”とか“マチャプチャレのふもとに温かいネパリの笑顔”とか、どれもこれも旅心をくすぐる誘惑的なキャッチフレーズが並んでいる。ヒンドゥの神が宿る彼の国にはありがたい何かが待っている。心癒される何かがある。遙か彼方からあたかも後光がさしてくるような、憧れにも似た気持ちにかき立てられ、ネパールはいつか行ってみたい国のリストに入ったのだった。
更に、世界中を歩き回ってきた旅の達人たちから「ネパールいいよ」「ネパール、行っとく価値あるよ」などと異口同音にネパールを誉め称える言葉を聞けば、もうじっとしていられなくなった。100人が100人ともよい国だと思うなら行くっきゃない!いざ目指せ神の国!いざ行かんカトマンズ!というわけで、ロイヤルネパールエアーに乗り、着いた着いたネパールだあ~!
さぁて、どんな素敵な国なんだろうと期待に胸躍らせて町を巡ってみるも、出逢うものといえば観光営業トークであった。
「トレッキングニ イラッシャイマスカ?」
いえいえ、いたしません、と丁重にお断りしたのだが、
「ドウシテ トレッキングニ イラッシャイマセンカ?」
と食い下がってくる。どうしてって、そりゃあなた、人の勝手でしょうが。私はそんなしんどいことなんてしたくないのさ。ただ自由に町歩きをしたいだけ。それにその“イラッシャイマスカ”とか“イラッシャイマセンカ”とか敬語表現がどうもしっくりこないな。なんでだろうかと思ったら、“イラッシャル”以外はすべて友達に話しかけるような会話調の話し方をするからだった。とにかくトレッキングには行かないと答えると、
「エ?マジデ?ジャア、イツ トレッキングニ イラッシャイマスカ?」
・・・・・だ・か・ら・行かないって言ってるでしょ!会話に疲れるのだった。
トレッキングのお誘いを避けるためカフェに入ってお茶を飲む。すると、隣のテーブルの男が話しかけてきた。
「アー ユー ジャパニーズ?」
そうだよ、日本人だよ、文句ある?
「アイム ネパリ。ユー アー ビューティフル。メアリー ミー、オーケー?」
なっ、何だよ急に!ユー アー ビューティフルまではいいだろう、そうだ、ビューティフルだ。それは正しいぞ。だけど、なんで会ったばかりのあんたと結婚せなあかんのだ。
「だって僕は、ここにいたら一生貧乏から抜け出せない。僕と結婚して日本に連れてってくれよ。ここから連れ出してくれよ。」
このバカ者め!女を口説くのに本心をさらけ出してどうする!そんな下心はちゃんと隠しときなさい!逆タマ狙いならもっと作戦練りな!まったく、この国の男はデリカシーのかけらもないのか!
ああ、こんなとこからは早く立ち去ろう。カフェから逃げるようにして今度はダルバール広場にやってきた。広場の石段に腰掛け、ここなら落ち着きそうだなと一息つくも、
「ニホンジンデスカー」 「ネパール ハジメテ?」
流暢な日本語を操るネパールの男性が4,5人近づいてきた。な、なんだ、こいつら!
「コレカラ ドコ イクノ?」
なんだよ、馴れ馴れしいな。どこへ行こうと私の勝手だ。しかし、なんでそんなに日本語が上手いのか?
「ワタシノ カノジョ ニホンジンネー。」 一人の男が懐から一枚の写真を撮り出し、見せてくれた。そこにその男と一緒に写っているのは東アジア系の女性だ。この人があなたの彼女?
「ソウ。トモコ。トモコハ ヨク ネパールニ クル。」 「ニホンノ ジョセイ ネパール スキネ。」 「ニホンノ ジョセイ チョー ヤサシイ、ホントニ。」
わあー、やめろ!その俗っぽい言葉!こんなタメ口っぽい日本語だったら、さっきの“イラッシャイマスカ”のほうがまだましだ。だけど、あんたら何か誤解してないか?日本人の女という女がすべて女神だとでも思ってるの?だいたいトモコだってさ、君のことネパールの友人くらいにしか思ってないかもよ。
「ネパールジント ケッコンスル ニホンノ ジョセイ オオイデス。」 「ワタシモ ニホンジント ケッコンシタイヨ。」
こらこら、あんたら、揃いも揃って何を言う。中には甲子園球児が選手宣誓でもするかのごとく片手を挙げて『日本人女性と結婚するのが私の目標です』なんて張り切って叫ぶ者もいる。そんなこと言ったってアンタ、そんなに簡単に夢が実現するのか。
・・・・・それが実現するのだった。この日入ったレストランのマスターの嫁は日本人女性だった。また、サリーを身に纏った東洋風の女性と道ですれ違ったのだが、その人もネパール人に嫁いだ日本人だと後で知ることとなった。なるほど、成功例はそこらへんに結構転がっているのね。ということは、トモコがネパールに永住する日も近いかもしれないねェ。そうか、そういうことだから皆さん俄然日本語学習に熱が入るわけだ!日本語を学ぶ動機がここカトマンズでははっきりしている、と思わずメモっちゃうのだった。
しかし、日本人女性ってそんなに期待されているのか。
「そうよ。たとえ中古車だって日本製は質がいいのよ。」
とは、バツイチの後ここカトマンズへ嫁に来た日本人女性の弁。彼女はカラカラと高らかに笑い、冗談よと言いながらもどことなく自信たっぷりの様子で、すっかり開き直っていらっしゃった。そうなのかー。人と車とではちと違うような気もするが、売り手市場のネパールなら、メイドインジャパンは高値で売れるんだな。よーし、自国でどうしても売れ残ってしまったらもう一度この国に来よう、とまたメモる私であった。
それにしても、これがネパールの現実だとは。本当に神が宿ってる国なんかい!旅人に優しい国なんかい! 町を歩けば下心丸出しのプロポーズ、歯科医院に入れば法外な治療代の請求、風邪引いて内科へ行けば必要以上に胸をタッチするスケベ医者・・・これがありがたいのかネパールめ!これが温かいのかカトマンズめ!何が笑顔だ!何が癒しだ!あのパンフレットに書いてあったウキウキするような言葉は全部嘘っぱちだったじゃないか!旅行会社も相当あくどい。 スワヤンブナート寺院に描かれた半開きの眼に向かって「詐欺師め~!」と拳を振り上げ叫ぶ私だった。
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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 ベトナム編
その4 【尼寺でランチ】
話はちょっと後戻りする。ヒリと運転手さんの三人でドライブ旅行をしている最中のことである。 ニャチャンを出て更にやや南下した辺りで急に車が動かなくなった。
「あれ、おかしいなぁ。エンストかぁ?」
運転手さんは顔をしかめ、車を降りるとボンネットを開けて故障した箇所を調べた。ちょっといじってまた車に乗り、エンジンを掛けるもうまくいかない様子。
「二人とも外に出てちょっと待てて。」
運転手さんは本格的な修理に取りかかった。ヒリと私は指示通り外に出て、運転手さんが車の下にもぐったりボンネットの中を覗きこんであっちこっちいじくってたり大格闘しているのを眺めていたが、こりゃ長期戦になるぞと確信した。ギラギラ照りつける南ベトナムの太陽は容赦ない暑さで迫ってくる。じっとしているだけでも額から汗が流れ落ちた。ヒリと私は影を求めて少し移動した。
車からちょっと離れた場所に建物があった。これはいったい何なのか。ヒリが中に偵察に入った。が、すぐに出てきた。
「ここは尼寺だよ。僕は入れないけど、君は入ってみれば?」
ヒリに促され私はおっかなびっくりお寺の中に入ってみた。お邪魔しま~す、失礼しま~す・・・恐る恐るお堂の方に近づいてみる。すると、誰かが私に気づいた。あ、挨拶しなきゃ。「ザオヂー」と会釈すると、お堂の中にいた女の子達が集まってきた。彼女らからの興味津々の視線を浴び、あらあらどうしましょうと立ちすくむ。しかし彼女らは私を責めるどころか笑いながら手招きするではないか。え!いいの?更に迷っていると女の子達の後ろにいつのまにか年配の尼さんが立っていて、彼女まで優雅な手つきでおいでおいでしているのだった。
靴を脱いでお堂の中に入り、ひとまずここは自己紹介だなと思い、尼さんに話しかけた。私は日本人であり、今中国で働いているのだが冬休みなのでベトナム旅行に来たわけで、現在優しいベトナムの方とともに車で移動しているところなのだが、ここでエンストしてしまい・・・・と、不得意な英語で説明したのだが、尼さん、ちっとも聞いちゃあいない。と言うか全く通じていない様子。私の英語のひどさもさることながら、尼さんのほうも英語がわからないんだろう。それでも尼さんはにこにこ微笑み、お寺の中を一通り案内してくれた。
私が歩くと女の子達が金魚の糞みたいにぞろぞろついてくる。彼女らは最初のうちこそ遠巻きにして見ていたが徐々に距離が縮まっていき、しまいには彼女らに手を引かれてお寺の中を歩いていた。4歳くらいの幼い子から小学6年生くらいのお姉ちゃん格まで、合わせて10人くらいに取り囲まれて尼さんの行く先をついていく。女の子がこんなに集まれば「キャー」とか「ワー」とかいう声が常に発せられ、お祭りみたいに賑やかだ。
そんな時尼さんが、あ、そうそうというふうに、部屋の隅にしつらえた飾り棚を指さした。そこにはミニチュア座布団の上にちょこんと鎮座ましましている一塊の木片があった。大人の握り拳くらいの大きさだ。尼さんは恭しくその木片を手に取り見せてくれた。匂いを嗅いでみろという仕草をするのでその通りにすると、なるほどなんともかぐわしき上品な香がする。白檀のお扇子の匂いに似ているな。そう、これは香木だった。なのに私は香木の価値をよくわかっていなかった。教養の‘あふれた’人なら「これは珍しい、立派な香木ですね」とか、「おお、見事な香木、希少価値ですね」などとコメントもできようが、悲しいかな教養の‘ありふれた’凡人ゆえ、「ああ、いい匂いの木だ」「トイレに置いたらいいですね」くらいにしか感想がわかなかった。ずっと後になって伸助の『なんでも鑑定団』を見て香木のありがたみがわかったのだが。
こんな物知らずの私に尼さんも女の子達も親切にしてくれた。ほらほら、こっちおいでというように広間に招き入れてもらったら、そこには長いテーブルがあった。テーブルの上には等間隔にきちんと箸が並べられている。今から食事タイムなのか? 座りなさい、と尼さんに促され、遠慮がちにテーブルの角の方についた。すると、もっとこっちこっちと女の子達が手を振る。しょうがないので移動だ。テーブルの中ほどに位置づけされる。
やがて料理がどんどん運び込まれ、お膳の上は賑やかになった。お寺であるゆえもちろん精進料理だ。野菜の煮物を中心としたおかずが何種類か鉢に盛られて出てきた。尼さんも女の子達もそれぞれの席に着き、ちゃんと正座をした。
「アンゴーン、アンゴーン(ご飯よ)!」
尼さんが私に向かって、また女の子達に向かって食事開始の合図をした。それでお箸を親指で挟んで真横に持ち、日本語で「いただきまーす」と叫んだら、女の子達はくすくすきゃらきゃら笑う。鈴の音のような可愛い笑い声の中、私は尼寺ランチをいただいた。柔らかく煮込んだ野菜は日本の田舎風煮込みによく似ていて、懐かしく大変おいしい。私がパクパク食べる様子を見て、尼さんは目を細めてまた
「アンゴーン、アンゴーン!」
と笑った。“この煮付け具合がとてもいいですね”とか“懐かしいお味で、お婆ちゃんを思い出します”とか言いたかったのだが、そんなベトナム語は知らないので結局「ガンモーン(ありがとう)」としか言えない。ガンモーン、ガンモーンと連発しながら食べていると、横からご飯のお代わりを茶碗に入れられた。確かにおいしいから食が進むのだが、こんなに食っちまっていいのだろうか。尼さんは「アンゴーン!」とまた叫ぶ。よーし、こうなりゃ皆の気が済むまで食べてやろう。
ごちそうさまをした時はお腹がはち切れそうだった。腹八分目が仏教の教えではないのか。十分目を通り越して十二分目か十三分目だ。げっぷを我慢しながら後片づけを手伝う。女の子達は手分けしてきびきびと手早く食器を洗い、テーブルを拭き上げた。
おっといけない、ヒリや運転手さんのことを忘れていたな。私はここでお昼をいただいちゃったわけだが、この間運転手さんは修理に奮闘し、ヒリは炎天下で汗を垂らしながら待ち続けているに違いない。腹一杯になってから彼らのことを思い出すなんて、まったくいい気なもんだな。
「それじゃ、帰ります。」
尼さんと女の子達にお別れの挨拶をすると、彼女らはにこやかに手を振ってくれた。なんのことはない、私はこの尼寺に突然押しかけ昼飯を食って出てきただけじゃないの。虫のいいヤツというか、ちゃっかりしているというか、我ながら呆れてしまう。
尼寺を出たところで運転手さんとヒリは待っていてくれた。もう車は直ったようで、二人とも車の中でお喋りをしていた。
「楽しかった?」
ヒリが聞いた。
「うん、とっても。中で昼ごはんいただいちゃった。」
申し訳ない、運転手さん、ヒリ・・・・
「そう。よかったじゃない!」
ヒリは自分だけご飯にありついた私を非難しなかった。運転手さんは再び車を走らせた。
それにしても・・・・・あんなにたくさんご飯をいただいちゃってよかったのかな。質素を旨とするお寺ではご飯は感謝しつつ大事にいただくもの。尼さんや女の子達の食料をピンハネした私は罪深き旅人だな。 女の子達も身寄りのない子達や、口減らしのために預けられた子達なのかもしれない。尼さんを母親代わりにお寺に身を寄せる彼女らが作った食事を簡単に巻き上げちゃうとは如何なものか。いただき過ぎちゃったから少しお返ししましょうか、というようなこともできないし。・・・・反省だ。 後部座席の窓を開け、尼寺の方を振り返る。もう二度とお会いすることもないだろう尼さんと女の子達にもう一度「ガンモーン」とつぶやいた。そうだ、後ほどお礼の手紙を書いて送ろう。あ、でも、住所知らないや。うぬっ、お寺の名前も確認しなかったではないか!あ~、なんと間抜けな私。再び反省する。修理が終わった車は軽快に南へと飛ばしていた。
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