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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 ベトナム編
その3【越僑大学生】
フエ最後の日の朝、ホテルで朝ご飯を食べていると一人の男が話しかけてきた。
「これからホーチミンまで車で行くんだけど、一緒にシェアしてくれる人を探していんだ。君はどう?」
見ると若い男だ。子どもでもない。清潔そうだから乞食でもない。シェアしてくれる人を探していると言うのだから旅行者に違いない。しかも結構いい男だ。待ちに待った「ラマン」の人か!?いや、待てよ。わたしゃどうも調子に乗ると悪い結果を招きやすい。ここは押さえて押さえて。色気を出すとかしなを作るとか、女の武器など微塵も出すまいぞ。
私が押し黙っているものだから、相手は向かい側に座って自己紹介をはじめた。
「僕はベトナム人なんだ。と言ってもベトナムにいたのは赤ん坊の頃の話。その後はオーストラリアに移り住んで今に至ってる。僕、シドニーの大学に通ってて、今夏休みを利用して(あ、そっか、南半球じゃ今がサマーバケーションなんだ)初めて自分が生まれた国に帰ってきたんだ。車を雇って北から徐々に南下していき、町を見ていこうと思ってるんだけど、一緒に行ってくれる人がいなくて。一人でずっと車を雇うのも大変だし、だから・・・・」
ほほーっ、ベトナムの若い男だー!そんでもってベト僑、いや越僑!!きのうまで夢に見ていたインテリベトナム青年の登場だよ~!!カランコロン、カランコロン(鐘を鳴らす音)!おっと、落ち着けー!落ち着け、私!今彼を毒牙にかけるのは、いや違った・・・餌食にするのは、・・・じゃなくて、その気にさせるのはまだ早い。ぐっとブレーキ踏んでまずはこの人の話を聞こうじゃないの。
「もしよかったら一緒に行かない?」
越僑はもう一度尋ねた。彼が誘ってくれたのも私が真面目そうに見えたからではないか。その期待を裏切るのは武士道の道を歩んできた日本人としてできぬことだ。あ、もしかしたら私のこの凛とした美しさが彼の気を惹いたのやもしれん。ううん、きっとそうだ。大人の女の色香につられたミツバチ君よ、この魅力でもってあなたを参らせてみせましょうぞ、くっくっく・・・おっと、いかんいかん、もう調子に乗るまいとさっき誓ったばかりじゃないか。よだれをふいて姿勢を正す。ベトナム人大学生のお誘いに、大和撫子は慎ましやかに恥じらいながら「はい」と返答いたしましてよ。
越僑大学生の名はヒリといった。オーストラリアではヘンリーと呼ばれているそうだが、この際名前などどうでもいい。楽してホーチミンまで行けるのだ。その間じっくり時間をかけてヒリを弄ぼう・・・じゃなくて、じっくり観光しよう。
こうして私はヒリが雇った車に乗り込んだ。運転手さんは初老のおじさんで、少し英語を話した。ヒリは助手席に座り私は後ろのシートを一人で広々と使えた。運転手さんも、眠くなったら横になって寝ればいいよ、と言ってくれた。ヒリと運転手さんはベトナム語でずーっと喋っていた。ベトナム語は声調が5種類くらいあるみたいだし、鼻から空気がフ~ッと抜けていく鼻音が多いようだし、聞いていると言葉というより歌のように感じる。そんな彼らの歌うようなお喋りを聞いていると、実際何度も眠りに引き込まれたのだった。
私たち3人はフエからダナン、ニャチャン、ホイアン、ダラッ、ホーチミンと徐々に南へ下っていった。途中で休憩を入れながら、食事しながら、宿泊しながらののんびりしたドライブだ。食事の場所はいつも運転手さんがいい場所を選んでくれた。やっぱりベトナムの人と一緒だとこういう点、得である。 海の町ではおいしい魚や貝の海の幸をたらふく食べ、観光地では洒落たオープンカフェ風のお店に入り、ダラッではホビロン(孵化寸前の鶏の玉子を茹でたもの)をつまみに名産の甘ったるい赤ワインを飲んだ。上げ膳据え膳ですまないと思いつつも、ベトナム語がわからないのでどうしようもなかった。オーダーから何から何まで運転手さんに頼るより他なかったのだ。
さてホーチミンに着く前の晩、ダラッを少し南下した町で宿泊することになった。
「運転手さんは友達のうちに泊まるんだって。僕らはゲストハウスに泊まろう。」
ヒリは運転手さんに紹介されたゲストハウスに入っていった。なるほど、運転手さんは友達がいるからわざわざこの町に立ち寄ったのね。ヒリはゲストハウスの受付の人とチェックインの話をしていたが、ちょっと困ったような顔で私の方を振り返った。
「部屋が一つしか空いていないらしいんだ。僕ら同じ部屋でもかまわない?」
えーーーっ!な、なんだって?ヒリと同じ部屋?それはチャンス・・・じゃなくて、そ、それは困ったな。ダナンではヒリと運転手さんが一部屋、私が一部屋だったもんで、今日もてっきり別々だと思っていたのだけれど。男女が一つの部屋に泊まるってことは、ちょっとそれって微妙なことですよ。ホテルに行ったら偶然一部屋しか空いてなかったんです、なんてテレビドラマみたいなシュチュエーション、そうそうないぞ。ひょっとしてこれは神様が与えてくれた絶好の機会かも。あ、いかんいかん、変に想像しちゃうと顔がニヤけてしまう。しゃんとしなくちゃ。私があれこれ考えているのを困惑しているととったのか、ヒリはさらっとした調子で言った。
「大丈夫。心配しないでよ。」
ヒリと私は同じ部屋にチェックインした。シングルベッドが二つ並んだ小さな部屋だった。もう夜も更けている。明日の朝はまた早い。シャワーを浴びてすぐ寝なきゃ。私たちは交代にシャワー室を使い、交代に歯を磨き、それぞれのベッドに入って電気を消した。
「グッナ~イ!」
と挨拶したら
「アイ ホープ ソウ。」
とヒリが返事した。何だよ、アイ ホープ ソウって。あんたは何をホープしてるの。何事もなく無事に朝を迎えることを望んでるの?それともナニかい、セクシーな年上女に押し倒されることをホープしてるの?日本のお姉様に可愛がられたいかい、坊や。今宵二人でうっふんあっはんドラマチックに盛り上がるグッドナイトな展開に持ち込んでほしいわけ?・・・などと考えているうちに深い眠りに落ちてしまった。疲れていたのだ。気がついたら朝だった。
翌日お昼過ぎに車はホーチミンに到着した。フエから続いた我々のドライブ旅行もここで解散だ。ヒリと運転手さんにお別れをする。ヒリとは結局何もなかった。あーん、残念・・・じゃなくて、と、と、当然よ!ヒリはいい人で紳士だからに決まってるじゃないの!同じ部屋に泊まっといて何もしなかったとはけしからーん!などとはこれっぽっちも思っていませんよ、これっぽっちも!これっぽっちもって言ってるでしょ!!何ですって!?ヒリが手を出さなかったのはあんたに魅力がなかったからだろうですって!?お黙り!失礼ね!私の気高くまばゆいばかりの美しさとミステリアスな色気をご存じないの?フ-ンだ、フーンだ、フーーーーンだ!心の中でつぶやきながらも、爽やかに手を振るヒリに、これまた爽やかな笑顔でもって手を振り返したのであった。
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アジアぶらぶら顛末記 ベトナム編
その2【求む!ラマン的な出逢い】
ベトナム出発前、中国の友人や同僚から「ベトナムなんて、なーんでそんな後れた国に行くの?電気が通ってないよ、きっと。懐中電灯持って行きなさいよ、絶対!」とブーイング混じりに言われた。仕方なくリュックに懐中電灯をしのばせてきたのだが、今のところまだコイツの出番はない。電気がないなどという不便な思いはもとより、イヤな思いも困った出来事にも遭遇していなかった。広州のベトナム領事館で受けた丁寧な応対から始まって、ベトナムの旅はトントン拍子に進んでいたのだ。
ハノイのゲストハウス二日目のこと、オーナーの知り合いだというフランス人が遊びに来るからということで昼食会が開かれた。オーナーの妹さんはお料理が得意らしく厨房で腕をふるっていたが、私にも声を掛けてくれた。関係のない私まで海鮮どっさりのご馳走ランチにありつけたのだった。これも日頃の行いのよさが功を奏したと言えよう、なんちゃって。
ハノイの夜はゲストハウスの近くにある一杯飯屋で食事をとった。スープ、炒め物、煮魚などの家庭料理を出す店で、日本の田舎料理を彷彿とさせる懐かしい味わいが気に入り、四日間通い詰めた。店のおばちゃんはとっても親切で、言葉は全然通じなかったがいろいろサービスしてくれた。二日目には頼んでいないおかずまで2,3品出てきて、三日目には値引きしてくれて、四日目にはタダになった。どうも一緒にテーブルを囲んだおじさんが私の分も払ったようだった。ずいぶんたくさん食べたけど、いいのだろうか・・・。ま、可愛さを振りまいたからいいとしよう。
ハノイの次はフエへ行こうと、駅へ列車の切符を買いに行った時もスムーズだった。ベトナムと言えば中国やモンゴルと同じ赤い国。列車の切符購入は行列必至、体力勝負になるだろうと予想し気合いを入れて臨んだのだが、窓口に並んでいる人はたった一人。待ち時間は2分だけで済んだ。窓口の係員さんもつっけんどではなく、親切ですんなりフエ行きの切符が買えた。決死の覚悟だったのにかえって気が抜けてしまったじゃないか。だけどだけど、並ばずに切符が手に入っただなんて万歳したいくらい喜ばしいことだ。
フエ行きの列車に乗る日はゲストハウスのオーナーの息子さんがバイクでハノイ駅まで送ってくれた。歩くとかなり距離があるので、早めに出てのんびり散歩しながら行こうか、シクロを拾って行こうか・・・と迷っていたのだが、こんな申し出があるとはかたじけないではないか。お礼にオーナー親子を玄関で写真撮影した。ちょうどテト(旧正月)前だったのでゲストハウスの玄関先には大きな金柑の植木があって、大層美しく飾られていたのだ。 それにしてもゲストハウスの方には本当にお世話になった。バイクを降りて息子さんに「ガンモーン(ありがとう)」とお礼を申し述べたのだが、もっと丁寧にもっといろいろ感謝の気持ちを伝えたかった。が、いかんせんベトナム語がしゃべれない。言葉ができない分、色気混じりのキスで最後のご挨拶をした、というのは嘘である。
寝台車の同じコンパートメントにはベトナムの母子が乗ってきた。子どもは6歳くらいの男の子で、DOREMON(ドラえもん)の漫画本を持っていた。見せてくれたがふきだしの台詞はみんなベトナム語で(当たり前か)わからんかったが。お母さんは物静かで優しい感じ。あまりぺらぺら話すタイプではなく、私にあれこれ問いかけてくることもなかった。どっかの国の人みたいにあんたの着ているその服いくらなのかとか、日本では一ヶ月の給料はいくらなのかとか、お金関係の話題もなくつつがなく列車生活が終わった。
フエに着き、街角のカフェでコーヒーを飲んだ。店のおばさんが私の向かい側に座り話しかけてきた。
「あなた、フランス人?」
一瞬コーヒーを吹き出しそうになった。ベトナムの人は外国人=フランス人とでも思っているのだろうか。だが、フランス人かと問われて悪い気はしないぞ。やはりこの美貌、この立ち居振る舞いのエレガントさがおばさんをしてフランス人ですかと言わしめたのだ。私の上品さは隠そうと思っても隠しきれないものなのね、おっほっほっほっほ・・・・
ところでフランス人といえば、ベトナムを舞台にした恋愛小説「ラマン」を書いたマルグリット・デュラスである。デュラスのこの自伝的物語は折りも折り、映画化されて話題になっているところだ。こんなドンぴしゃのタイミングにベトナムに来たのも何か因果があるのかもしれぬ。しかもだ、こっちに来てからというもの、次から次へといいことばかり起こり、運の方も右肩上がりに上昇している。やっぱり「ラマン」の国は最高だ。こんないいことずくめ、多くのラッキーに恵まれるってことは、つまり幸運の頂点にはラマンチックな出逢いが待っているに違いない。ああ、その運命の人は今何処?ほら、私は今このカフェで物憂げに髪をかき上げあなたを待っていてよ。私の前に現れるのは金持ちの華僑?それとも国の未来を背負って立つベトナムのインテリ青年?あら、背後に人の気配が・・・。早くもダーリンとなる殿方の出現か?
私の右肩のあたりに手を触れたその人物を確認するべく振り返る。ああ、ラマン的な出逢いの瞬間だ。
「お金、恵んでおくれ。」
そこに立っていたのは金持ち華僑でもなくベトナムのインテリ青年でもなかった。みすぼらしい乞食のオッサンが、汚れた手を私の目の前に差しのべていたのだった。ぎゃあ~~~・・・・
カフェを離れ今度はホテルの近所をぶらつく。今度こそラマンチックな場面に出くわしますようにと祈りを込めて、ややモンローウォーク気味にしゃなりしゃなり歩く。なーに、私には運が味方している。きっと更なるいいことがあるはずだ。その時また背後に人気を感じた。ふふふふふ、今度こそ・・・・振り返ると、あら一人じゃなくて三人・・・おや、子どもじゃないの、え、こんな年下かいな・・・なんて言っている場合ではないぞ。彼らも乞食だ、しかも走ってついて来るじゃないか。逃げても逃げてもついてくるガキども。仕方ないからちょっとばかりお金を渡すも、まだ追っかけてくる。ああああ、振り切るのにとっても苦労しましたとさ。
ったく、なんで乞食にまとわりつかれなあかんのだ!よ~し、気分を変えて観光しよう、観光!フエの観光名所と言えばいの一番に宮殿が挙がるだろう。暑い中トコトコ歩いて黒く聳える宮殿へ。入場券を買おうとしたら売り場のオッサンがむすっとした顔で料金表を指さした。なんと外国人料金が設けられていて、またこれが法外に高い。オッサンは再び偉そうに料金表を指でコツコツとたたいた。ふんっ、外国人だけどこちとら貧乏旅行者なんだ!しかもなんだ、その役人ぶった態度は!フエの目玉だからとつり上げられた宮殿入場料が何故か物凄く高いハードルのように感じた。超えられないハードルはくぐってサヨナラだ。私は回れ右をし宿に戻った。
ステキな出逢いを求めていたのに出会うものといえば乞食とバカ高い外国人料金だけかいな!金持ちの華僑やベトナムのインテリ青年はどこへ行った!?お前らの目は節穴かー!!こう叫んでみても空しさが残るばかり、ああ、我が運ももはやこれまでか。幸運を使い果たしたベトナムで思い知ったのは、調子に乗ってはいけないということだった。ラマンチック、いやロマンチックな出逢いを求め、ゴーマンチックになった自分を反省する。仏の顔も三度まで、ベトナムの運も途中まで、ということでしょうか・・・
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アジアぶらぶら顛末記 ベトナム編
その1【行く前からポイントアップだ~】
ベトナムへ行こうと思い立った。というのも住まいの広州から近いからだ。市内にはベトナム領事館もある。好条件が揃っているんだから行かない手はない。早速行動開始だ。
先ずはビザを取りに行く。パスポートを手に領事館を訪ねると、係の人達は皆忙しそうに動き回っていた。最初のうちは相手にしてくれなかったが、一人のおばさんが私に気づき大慌てで走ってきた。
「ごめんなさいね。どうぞおかけください。今、引っ越しの準備中でバタバタしちゃって。ちょっとお待ちくださいね。」
彼女はフロアの横にある丸テーブルと椅子を指さし、申し訳なさそうに言った。そうか、お取り込み中だったのね。それにもかかわらずこんなに丁寧な対応とは、かえってこっちがかたじけなく思う。普通領事館の人といえばお役人だから、権威的な態度で事務的なもの言いのヤカラがほとんどなのに、このベトナム領事館では『どうぞおかけください』なんて言ってもらえたのである。ビザを取りに来ただけの人間としてはなんだかこそばゆい。手続きだけなんだから本来ならカウンター窓口で立たされるところ、座って待っていてもいいと言う。これは尋常ではないぞ。おまけに
「お茶です。どうぞ。」
と、綺麗なティーカップにお茶を入れて出してくれた。いいの!?もらっても・・・
「ベトナムのお茶です。召し上がれ。」
はぁ、じゃあ遠慮なく頂戴します。なんだか領事館というよりもどっかのおうちにお邪魔しているような気分だ。ビザの手続きも窓口ではなく、今座っている丸テーブルのところでやった。必要事項を書き込み、パスポートと写真を提出すると、おばさんは
「あなたがパスポートを取りに来る頃には新しい所に移っていますので注意してくださいね。これは新住所です。」
と、移転先の簡単な地図を印刷した紙をくれた。こういう心遣いがじぃ~んと胸に響く。お茶までよばれ、にこやかな笑顔で見送られたら感動しないわけがない。もう行く前の時点でベトナムのポイントがドドドドドドッとアップした。
飛行機のチケットを買いに行った時も対応はよかった。事務所にはおじさん一人しかいなかったが、発券がスムーズだった上、ベトナムに何しに行くのか、ベトナムのどこを回る予定なのかなど、嬉しそうに聞いてくれた。こちらもベトナム語の挨拶用語を教えてもらったりして、エアチケットを買う以上の収穫があった。ベトナム行きに俄然火がつく。
旅立ちの朝、リュックを背負って広州白雲空港にやってきた。ベトナムエアーのハノイ行き搭乗ゲートを捜すと、奥まった場所にそれはあった。が、ゲートのカウンターには係員らしき人は誰もいない。それなのに搭乗ゲートはオープンしたままになっている。搭乗を待つ乗客も見当たらない。もうみんな乗り込んじゃったのかな?おかしいなぁ、まだフライトまで時間があるのに。不思議に思いながらも、もしかしたら自分が遅刻したのかもしれないしと、ゲートを通って飛行機の中に入っていった。
機内に入ってギョッとした。なんと、前の方のシートにスチュワーデスの皆さんが固まって座り、お弁当を食べていたのだ。ありゃりゃ、遅刻じゃなくて早く乗りすぎたのね。この時点でやっと事態が把握できた。ソーリーと言いながら回れ右をし、飛行機を出ようとしたら
「かまいませんよ。お座席でちょっと待っててくださいね。」
と、スチュワーデスさんに呼び止められた。まったく係員はなんでいなかったんだ?ま、ここは中国だし、飛行機はベトナムだ。せこせこ細かくて厳格な日本では決して起こり得ないいい加減な、おっと失礼、珍しい体験である。
しばらくして飛行機は離陸した。乗客はアメリカ人のカップル、商用風の中国人3人。私を含めてたったの6人だ。こんな少人数で飛行機を飛ばしてもいいのか。田舎のバスじゃないんだからね。もしもこのまま乗客10人以下なんて状況が続けば、広州―ハノイ間は間違いなく赤字路線となり廃線になるだろう。おっと、上昇するにつれて機内が冷えてきた。ちょっと、ちょっと、窓に隙間があるってんじゃないでしょうね。かなり寒いぞ。クーラー全開のごとき機内にたまりかね、アメリカ人の女性が毛布をリクエストした。私ももらおうかな・・・なんて思っているとあらあら飛行機が下降し始めた。フライトはたったの30分ほどなのね。いつの間にかハノイ到着だ。
ノイバイ国際空港に降り立つと、広州と変わらぬ空気が流れていた。広州と同じく湿気を帯びた涼やかな冬が立ちこめている。が、人々の話す言葉でここがベトナムであることに気づかされる。 ぼんやり立っていたら、シクロの少年が話しかけてきた。
「どこまで行くの?」
わかんないよ、そんなこと。今から考えるんだから。
「じゃ、僕がいい宿へ案内してあげるよ。」
もしかしたら少年はペテン師かもしれない。見知らぬ旅人に優しく声を掛けてくるようなヤツは要注意だ。袋小路に連れて行かれた挙げ句、お金を巻き上げられるかもしれぬ。警戒、警戒!こんなヤツは避けるべきだ。 しかし、他のシクロは皆ぎすぎすした怖そうなオッサンばかりだ。この少年が一番ましな気がする。よ~し、本当にいい宿なんでしょうねぇ!ひどい宿だったらただでおかないからねー!覚悟を決めて少年のシクロに乗る。騙すなら騙してみろってんだ!大声で泣いてやるぞ。奥の手作戦を胸に秘め、眉間に皺寄せながら座席にどかっと腰を下ろした。な~に、向こうが卑怯な手を使ってきたら、こっちも卑怯な手で受けて立つまでじゃ。
シクロが空港を離れ町中に近づくに従って人の往来も多くなってきた。建物の数も増えてきたからハノイの中心に入ったようだ。少年がこぐペダルのリズムは尚軽快で、少しの狂いもなく進んでいく。少年とはいえシクロこぎのキャリアを感じる。小気味よいペダルの音を背中で聴きながらハノイの町並みを眺めた。
やがてシクロは住宅地のような小路に入り、一軒のうちの前で停まった。
「ここだよ。」
息づかいの乱れもなく、少年は元気よく言った。ふむ、して、おいくら?
「1ドルください。」
そう、1ドルなんだ。はい、どうぞ。米ドル札を1枚渡すと、少年は顔を輝かせ何度もサンキューと言って去っていった。あれ?こんなに喜ぶってことはふっかけられたのかな?本当はシクロ代ってすっごく安いのかも。くっそう、ボラれたか!悔しさが残ったまま宿に入る。門のところに英語で「GEST HOUSE」と書いてあった。普通の家のようだが、確かに宿なんだ。ったく、ここが悲惨なゲストハウスだったら、あの少年を絶対とっつかまえて文句言ってやる!
しかし、このゲストハウスはできたばかりと見えて綺麗な上、宿のスタッフ達は皆親切だった。宿泊客のフランス人のお兄さんも、ここは快適だと教えてくれた。私が通された部屋は設備の整った小綺麗なシングル部屋だった。
少年よ、疑ってごめん。シクロ代1ドルが高かったとしても、穴場的ないい宿に連れてきてくれたのだから結果オーライじゃないか。大当たりと言ってもいい。出発前からハノイ到着まで予想外の事態がいろいろ起きたが、要するに滑り出し順調ってことじゃないの。ベトナムのポイントがぐんぐん上がり続けていることを実感しちゃうのだった。
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