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稚拙な表現ではありますが、旅行記などを発表していきたいと思います。
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青春の思い出?若気の至り?
中国大陸をほっつき歩いた旅記録です。
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アジアぶらぶら顛末記
アジアぶらぶら顛末記 モンゴル編

 その5【ウランバートルバス事件】

 初めて訪れる場所で公共の交通機関を利用する時ほど緊張することはない。ましてやそれが外国ともなると、字も言葉もわからんわでどうしようかと困惑する。が、しかし、遠くへ行きたい場合は徒歩では時間がかかるし疲れるしで、バスや電車に乗らざるを得ないことがある。よーし、いっちょ乗ったるかー。どんなバスだ!電車だ!好奇心が膨らむ一方乗り方がわからぬ不安もあり、いつもより心臓の鼓動が大きくなる。ウランバートルで初めてバスに乗った時はまさにそんなスリル満点のエキサイティング状態だった。

 市民とともにバスに乗り込んだはいいが、さてどうやって料金を支払うのか。観察していると、みなさん車掌さんと見られるおばさんにお金を払っている様子。そうか、中国みたいに行き先を告げて小銭を出せばいいんだ!だけど、いくらなのかな?ええーい、少し多めに渡しちゃえ。おつりが返ってくるだろうから。緊張しつつも車掌さんに大きめのトゥグリグ札を渡し、「ショーダン(郵便局)・・・」と行き先を伝えた。そうしたらおばさん、何故かくすっと笑い、

「ショーダン?(郵便局ね?)」

と確認し、おつりをくれた。そのおつりの多いこと!お金の入ったバッグから、おばさんは何枚も何枚もトゥグリグ札を取り出し、私の手のひらに押しつけるようにして返してくれたのだった。あれ?支払った金額が大きすぎたのかな。座席に座っておつりを数えてみたら、バス代は3トゥグリグであることがわかった。なーんだ、安いんだ、バス料金って。

 ホームステイ先に帰ってバス初体験の話をしたら、おうちの方々はきょとんとした顔をした。ほどなく長女のサラさんが

「今、3トゥグリグって言った?おかしいわね。それは子ども料金よ。大人は10トゥグリグなんだもの。あなた、子どもと間違えられたのよ。きっとそうだわ、ハハハハハハハ・・・」

と笑った。なにー!子ども料金だって!ガキ扱いされたってこと!?考えてみれば無理もないことだった。第一に私は背が低い。第二にたどたどしいモンゴル語で「郵便局」なーんて言っちまった。だから車掌さんは私のことを初めてバスに乗った子どもだと思ったのだろう。ウランバートルの市バスはどこまで乗っても一律大人10トゥグリグ、子ども3トゥグリグ。何も行き先を言わずともよいのだ。そんなこと知らんかったもんなぁ。

 その後は1回につき10トゥグリグ払いバスに乗っていた私。要領がわかればウランバートルの市バスは快適な乗り物だ。しかし、油断していてはいけなかった。やがて事件が起こったのだ。

 ある日いつものようにバスに乗り込んだ。車掌さんに料金を支払い前の座席に座った。いくつ目かのバス停で乗ってきたおじさんが私のすぐそばに立った。車内は混み始めてきて、空いた席がなくなっていた。おじさんは二言三言、私に言った。が、モンゴル語がわからないのできょとんとしたままでいると、おじさんはまた何か言った。どうしよう、困ったなぁと思っていたら、おじさんはふいに私の腕をつかんだ。そしてぐいぐい引っ張った。びっくりする暇も与えられないままとうとう私は立たされてしまった。その後、おじさんは素早く私の座席に座った。あまりにも唐突な、あまりにも強引な行動に私はただ唖然として立ちつくすほかなかった。

 ホームステイ先に戻り、この話ををするとまたサラさんに笑われた。

「あなた、また子どもだと思われたのよ。」

 えっ!子どもに間違えられたって?てことはつまり、子どもはバスに乗ったら立っていなくちゃいけないの?

「いえいえ、とっても小さい子なら親が抱っこして座ってもいいけど、ある程度大きくなった子どもは、ほら、普通立つでしょ。」

 ふーむ、なるほど。それでおじさんは『お前は子どものくせにのうのうと座って!席を譲りなさい!』とか何とか言っていたのだな。確かにバスの座席に座っているのは大人ばかりだった。小学生くらいの子は皆立っていたなぁ。

 それにしても国によって子どもの扱いは違うもんだな。中国では子どもは舐めるようにかわいがられ、子どもがバスに乗ってこようものなら誰かがサッと席を譲ったりする。また子どものほうも乗り物の座席には座って当然と思っているような節がある。が、しかし、モンゴルでは子どもに対して厳しい。違った言い方をすればいつまでも子ども扱いしない、甘やかさないってことかな。どちらがいいのか、どちらが正しいのか、一概には言えないのだろう。言えることは同じ社会主義の国であっても“赤”と“青(蒼)”じゃ子どもに対する考え方が異なるのだ。

 この事件があってからバスに乗ったら座らないよう心がけた。まったく、もうじき30歳になろうかっていうのに子どもにしか見られない我が身とはねぇ。情けないったらありゃーしない。青き狼め、「あんた早く大人になれよ」ってメッセージをどうもバイルラー(ありがとよ)。

(この話は1993年7月時点のことなので、現在ウランバートルの市バス料金がいくらなのかはわかりません)


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アジアぶらぶら顛末記
アジアぶらぶら顛末記 モンゴル編

 その4 【迷ガイド、マドハ】

 さて、マドハのお陰で広すぎる部屋から一日10ドルの一般家庭へと宿を移せた私だったが、心配事はもう一つあった。それは帰りの列車の切符のことである。2週間後に北京へ向かう列車で戻りたいのだが、その切符はいつどこで買えばよいのか。再びマドハに相談した。彼女の話によると、前売り切符専用の場所があるとのことで、そこへ行って買えばいいらしい。じゃ、マドハ連れて行ってよ。お願いだから。

「えー、私も行くんですかァ?」

 マドハは少し困ったような顔をしたが、わたしゃ“モンゴルヒリッ メーディッヒクィッ(モンゴル語はわかりまへん)”なんだからちょっと通訳しておくれ。

 マドハは渋々ながらも一緒に来てくれた。前売りチケット場の各窓口にはすでに大勢の人が押し寄せていた。国際列車の窓口にも多くの人が並んでおり、私たちはその最後尾についた。窓口はまだシャッターが閉まっている。切符が販売されるまでまだしばらく時間がかかりそうだ。ああ、赤い中国も蒼き狼のモンゴルも切符ゲットには根気がいるようだ。よ~し、忍耐勝負だ、体力勝負だ、頑張らなくちゃ。いつ開くかわからぬ窓口を睨みながら腹をくくった。ところが並び始めて10分と経っていないのに、マドハは疲れたとこぼす。

「あの、私座っていいですか?」

 彼女は売り場の隅にあるベンチを指さした。いいわよ、しょうがないわねぇ、座ってらっしゃい。ったく私よりずっと若いくせにひ弱なんだから。ま、窓口の人と話す時だけ通訳してもらえればいいから、それまで待機させていよう。

 それから10分ほど経った。マドハがベンチを離れこちらにやってきた。

「あのー、これ、日本のお客さんにもらったんです。」

 彼女は嬉しげに握っていた手の平を開いた。するとそこに白いイヤリングが現れた。かわいいね。つけてみたら?マドハははにかみながらも頬を緩ませ、自分の耳たぶにイヤリングをつけようとした。ピアスじゃなくて挟むタイプのものだったので簡単につけられるはずなのだが、初めてのイヤリング体験なのか上手くできない様子。おっかなびっくりイヤリングの金具を開いては耳元まで持っていくのだが、上手に閉じられないようだ。

「あの、すみません、手伝ってください。」

 とうとうマドハは半泣きで私にすがった。もぉ、しょうがないねぇ、いい年してイヤリングもできないなんて。ほら、耳をお出し。はい、こうやって・・・・そーっと金具を閉じる。両耳ともつけてやるとマドハは喜色満面、ぱーっと花が咲いたように明るくなった。

「どうですか?きれいですか?」

 ええ、ええ、きれいですとも。よくお似合いよ。するとはっと思い出したようにマドハはかばんの中から手鏡を取りだし、イヤリングのついた自分の顔を眺めた。おめかしした女の子が我が身を鏡に映してうっとりするように、彼女はためつすがめつ手鏡をのぞき込んではいつもよりお洒落な自分に酔いしれた。そして満足げに「ふふふふっ」と言って再びベンチに戻って座った。

 その後5分と経たないうちにまたマドハは私のそばに駆け寄ってきた。今度は泣き出しそうな顔をしている。

「痛い、痛いです・・・すみません、とってください!」

 イヤリングに挟まれた耳たぶを押さえ、彼女は悲痛な叫び声を上げた。本当にしょうがないわねぇ。つけろと言ったりはずせと言ったり。だいたい君のようなネンネにはまだアクセサリーを身につけるなんて10年早いのさ。お洒落がわかる年頃になるまでしまっておきなさい。そーっとイヤリングをはずしてやる。マドハはほっと安堵し、笑顔を取り戻すと「ありがとう」と言ってベンチに帰った。アクセサリーなんかしなくても、その丸いほっぺと丸い眼があんたの何よりのチャームポイントだよ、マドハ。

 やっと窓口が開き、切符の販売が始まった。並び始めて45分、ようやく列が動き出したぞ。さあ、次が私の番よ。マドハ!急いでこっち来て!ほら、前の人がどいた!聞いて、聞いて、ウランバートル-北京はいくらなの?手元の米ドル札を確認し、ギュッと握りしめる。マドハは係の人とひとしきり話をしてから私のほうを振り返った。さぁて、いくらなのかな?

「あの、切符は来週から販売するそうです。」
「・・・・・・・・」

 嗚呼、くたびれた。1時間以上並んでいたこの労力をいったい何としてくれる!憤懣やるかたない気持ちを抑え、切符売り場を出た。

「これから遊びに行きましょう!」

 マドハはスカッと爽やかに言ってくれる。いいね、あんたは無邪気でさ。ま、君のお陰で前売りは1週間前から販売するとわかったわけだし。次に行く時はマドハなしで行こう。一人で行った方が余計なことなくスムーズに買えそうだ。

 晴れ晴れとした表情を振りまくマドハを見ていると、ふと中学2年生の頃の事を思い出した。当時の公立中学校では技術家庭科の時間、男子は技術、女子は家庭科と別れて授業を行っていた。ある時、男子は技術の授業でぶんちん作りの実習があった。書道の時に半紙を押さえる重しとして使うアレだ。クラスに前田君という男の子がいた。彼は不器用なようで、ぶんちんの底が上手く削れなかったらしい。前田君の作品は机に置くとコロコロ転がった。いくら削り直してもコロコロッと転がって、クラスメートにからかわれていた。その後クラスのみんなは役に立たない物のたとえに“前田のぶんちん”という言葉を用いた。へこんで弾まなくなったバスケットボールも『これ、前田のぶんちんやなぁ』と揶揄した。

 マドハのガイドも“前田のぶんちん”だな。だけど、前田君のぶんちんは愛嬌があった。転がってしまって実用性としては問題が残るが、どこか憎めないものがあった。それは作った前田君がユーモラスでクラスの人気者だったことによるのだが、マドハも然り。ガイドとしてはあんまり役に立たないのだが、天然とも言えるこのボケようというか、あっけらかんさは腹立たしさを通り越して長所になっている。蒼き狼も様々なのね。

「あの・・・・これ、何ですか。どういう意味ですか。」

 歩きながらマドハは手帳を取り出し、あるページを私に見せて言った。彼女の勉強用のメモ帳らしく、そこにはいろいろな日本語の単語が乱雑に書かれていた。マドハが指さした先には“はなくそ”と大きく書いてある。

「きのう、日本のお客さんが“はなくそ”と言うの聞きました。でもこの言葉、辞書に載っていません。」

 そうだろうな、これはね・・・・私はジェスチャーも交えながら教えてやった。“はなくそ”の意味を知ったマドハは膝を折り曲げてゲラゲラ笑った。笑いはしばらく収まらない。そう、彼女は16歳。箸が転げてもおかしくなっちゃう年頃だ。いつまでもそうやって笑い転げてなさい。“はなくそ”以上に、マドハが悶絶しながら笑っている姿におもろさを感じる私であった。


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アジアぶらぶら顛末記
アジアぶらぶら顛末記 モンゴル編

 その3【モンゴル少女登場】

 ソファーに座り先ほど購入したパンを一口、また一口とかじる。広い部屋にぽつねんと存在する自分を妙に意識しながらの食事。これほど哀愁の漂う姿はあろうか。激しい孤独感に加え食料を得る難しさを思うと、寂しさを超えた恐怖が襲う。これからどうやって食べ物を見つけようか。この部屋には立派なキッチンがあるけど、材料が手に入んなきゃ調理もできないじゃないか。初めて体験する食糧難。暗澹たる気持ちでソファーに深く沈み込み、途方に暮れる私であった。

 その時である。呼び鈴が鳴った。誰・・・?恐る恐る玄関の扉を開けると、立っていたのは若い女性だった。

「こんにちは。サローラさんに言われて来ました。」

 日本語が上手だ。やはり旅行社の人か。彼女を部屋の中に通した。

「私、マンダと申します。本当はマンドハァックというのですが日本人は発音できません。だからマンダです。」
「旅行社の方ですね。」
「いいえ、私は高校生です。今夏休みですからアルバイトでガイドの手伝いをしています。」

 モンゴル少女は嬉しそうに言った。笑顔がカワイイ。丸顔で目がくりっとしていて、ちびまる子ちゃんのようなヘアスタイル。ほんのり赤い頬が愛くるしい。サローラさんは自分の代わりにこのあどけない高校生を寄越したのだった。

「この部屋はどうですか。」

 彼女は聞いた。設備は申し分ないが広すぎて自分一人にはもったいないし、できればもう少し安いところがいいと正直に言った。

「そうですか。じゃあ、考えてまた手配します。今日はすみませんが、ここに泊まってくださいね。」

 一生懸命に話す彼女の目が更にくりくり輝いた。

「えーっと、マンダックさんは日本語、どこで勉強したんですか?」

 高校生にしては会話が上手いので尋ねてみた。

「ふふふふ、マンドハァックですよぉ。ふふふふふ、マンダでいいです。えー、日本語は前に学校で少し習いました。それからあとは自分で勉強しました。」

 ほぉ~!独学とは恐れ入った。努力家なんだ、彼女。いやいや、たいしたもんだ。真面目な学生さんだこと。明るくて感じのいい子だし、気に入っちゃった。サローラさんよりずっといいなあ。それにしても確かに君の名を発音すると難しい。子音の多いモンゴル語は発音が複雑そうだ。それに喉の奥から絞り出すように発せられる音も多そうで、日本人にはなかなか真似できそうにない。それでも少しでも正しい発音に近くてなおかつ言いやすいよう、私は彼女を『マドハ』と呼ぶことにした。

 翌日マドハは友達の女の子を連れてやってきた。

「今日からこの子のうちに泊まったらいいですよ。一日10ドルでどうですか。」

 え、あんたの友達のうちに?いいの・・・・?マドハの友達はこっくり頷いた。あらららら、モンゴルでホームステイするとは思ってもみなかったよ。一般家庭にお邪魔する予定なぞなかったのだが、安い宿をお願いしますと頼んだ手前、このお友達のうちに寄宿するしかない。なんという急展開。マドハに感謝だ。

「午後からこの子のうちへ行きましょう。私は今から仕事がありますからちょっと待ていてくださいね。」

はいはい、わかりました。言う通りにします。マドハよ、もう何だって君に従おうじゃないの。煮るなり焼くなりどうにでもしてよ。午後までおとなしく待っているから、さ、お仕事頑張って行ってきて。

 ところがマドハはまだ立ち去ろうとせず、そうそうと言いながら自分のかばんから何やら取り出した。それは赤い液体の入った瓶だった。

「あの、これロシア人の男の子にもらいました。一緒に飲みましょう。」

 え?一緒に飲むの?まあいいけど・・・。私は台所にあったガラスのコップを三つ持って来た。マドハは瓶の蓋を開けるのに手こずっている様子。どれどれ貸してごらん、開けてあげましょう。蓋に付いている金具をぐりっとひねって回すと簡単に開いた。と同時にぷ~んとアルコールのいい香が噴き出した。これ、ワインじゃないのよ。ジュースかと思ったのに。マドハの友達はワインならいらないと言った。私も午前中からお酒なんか飲みたくないなと思ったが、マドハは嬉しそうに瓶を持つとコップ1杯分なみなみと注いだ。

「どうぞ。」

 ワインがたっぷり入ったコップを差し出されたが、少しでいいからと断ると

「じゃあ、私が・・・」

と、マドハはゴクゴク一気に飲み干した。え~っ、ちょっとマドハ、あんたまだ高校生でしょ。高校生が白昼堂々酒なんか飲んでいいのか!モンゴルの法律はどうなってるんだ!驚く私など目に入らないようで

「はあ~、おいしい。もう少し・・・」

と、マドハは嬉しそうに2杯目のワインをコップにまたなみなみと注ぎ、何の躊躇もなくこれをも飲んでしまった。

「あー、おいしいです。とてもおいしいです。」

屈託のない笑顔を見せるマドハ。だがすぐに

「あ、ちょっと酔いました。あ、頭がちょっと・・・」

と、赤みが増した頬を押さえてうろたえた。そりゃあ勢い込んでワイン2杯も飲んだら、酔いもキューッと回るってもんよ。だ、大丈夫か、マドハ!

「あ、どうしましょう、本当に酔いました。あの、あの、すみませんが、この事サローラさんには言わないでください。絶対言わないでくださいね。」

マドハは何度も念を押した。これがサローラさんに知れたらそりゃまずいだろうな。はいはい、わかりました。内緒にしておきましょう。

「あ、もう時間です。お客さんを見送りに行かなければなりません。また後で来ますね。」

 マドハはふらふらと立ち上がり、友達に支えられながらよろめきつつ出ていった。そんな状態でガイドの仕事が勤まるのか!酔っぱらって接客してどうする。私が言わなくたってサローラさんにはきっとばれると思うよ。お目玉を食らうマドハの顔が浮かんでくる。ああ、この後のマドハの運命や如何に。

 真面目で感じのいい子だと思ったが、仕事前に酒をあおるなんてろくでもない高校生め!早速前言撤回だ。いいガイドさんに会えたと思ったのにねぇ。貧乏旅行者も歩けばマドハに当たる。ホント、ヘンテコなヤツに出会ってしまったぞ。まいった、まいった。今後このいい加減な高校生にお世話になるのかと思ったら不安になる一方、ウランバートルの旅もなんだかおもしろくなってきたなあと、一人ほくそ笑んでしまうのであった。 


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