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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 モンゴル編
その2【ウランバートルでオロオロ】
旅行代理店のサローラさんは歩くのが速い。年の頃は30歳代後半くらい、ぺらぺらの日本語を操り、髪をポニーテールできりっと束ね、タイトスカートに黒のブーツで颯爽としている。いかにもできる女という感じだ。その後ろをリュックを背負った私がよろよろついていく。車に乗せられ着いたところは大層立派なホテルだった。とりあえずチェックインして部屋に入り荷物を下ろした。ドレッサー、幅広のベッド、浴室には清潔そうなバスタブ。なかなかきちんとした部屋だ。ウランバートルでは高級クラスだろうな。
夕食もまずはこのホテルでとった。きれいなテーブルに椅子、壁には鏡がはめ込まれている。インテリアも小綺麗な店内で私は日本から来たツアーのおじいさんおばあさん達のチームに加えられてテーブルについた。そうか、やはりここは団体旅行の客が泊まるような格上のホテルなんだ。 よどみない日本語でサローラさんは日本のおじいさん達に本日の観光の様子を聞いた。日本人ツアー客の‘余は満足じゃ’という答えを聞いて、彼女の表情はお客以上に満足そうだった。日本語のうまさに感心し、私はサローラさんにどこで勉強したのか尋ねた。
「日本に留学しましたから。」
なるほど、で、どちらの学校で?
「東京外国語大学です。」
サローラさんはにこりともせずに言った。だから上手に決まってるじゃんとでも言いたげだった。
ウランバートル随一かというホテルにしては夕飯はパッとしなかった。かさかさした黒パン、しけた野菜サラダ、何かわからんような硬い肉、それとチーズが数種類。これなら外のレストランかどっかで食べたほうがましという内容だった。それでサローラさんに聞いた。
「ここは一泊いくらですか?」 「60ドルです。」
ひええぇぇ~、60ドル!つまり一泊6000円強か。中国暮らしの貧乏教師にはあまりにも贅沢なホテルだ。
「今晩はこちらに泊まりますが、明日からもう少し安いところに泊まりたいのですが・・・」 「はい、わかりました。手配しましょう。」
と言いつつも言葉にはとても事務的な響きがあった。そして、日本人ならたんまりお金持ってこんかい、そんでもってたくさんお金を落として帰らんかい、貧乏旅行者なんて価値ないわい、という表情がありありだった。しかし、こっちはこっちの財布の都合があるのだ、サローラさんよ。
翌朝、高級ホテルをチェックアウトさせられ、私は再び車に乗せられた。走ること十数分、同じような建物が並ぶ一角に入った。間もなく車が止まり、
「ここです、降りてください。」
とサローラさんの指示。急いで降りる。が、彼女は車から降りずに窓から顔だけ出して上の方を指さした。
「あそこです。4階の部屋ですから。1日25ドルです。」
とだけ言い、鍵をくれ、そのまま車を走らせ行ってしまった。
ここってホテルとか旅館とかゲストハウスって感じじゃないぞー。市民が住まう団地じゃないか~。まあ、でも、鍵をくれたんだからここに泊まるしかない。4階まで階段を上り、借りた部屋に入る。中にはキッチン、応接間がある。部屋も三つあり、ベッドやタンスなどの家具も備え付けられている。明らかに住宅だ。部屋が広いのは気持ちよいが、私一人、宿として使うにはこの広さも無駄に感じる。
いや、そんなことよりも今私はもっと大きな問題に直面しているぞ。連れてこられたはいいが、いったいここはどこなんだ?何の説明も受けていないじゃないか。サローラさんめ、ビザをくれた女神かと思ったら、金にならない貧乏旅行者を邪険に扱う冷たい女だったのか!突然「ここはどこ?私は誰?」状態に陥り頭を抱える。現在地がわからなきゃガイドブックの地図があっても役に立たない。仕方がない、外に出て誰かに聞いてみよう。
玄関を出てふと隣のお宅に目をやった。表札を見てびっくり。なんと『共同通信社』と書いてあるじゃないか!ということは日本人が住んでいるのね。よかった~、聞いてみよう!わらにもすがる思いで呼び鈴を鳴らす。中から出て来たのはおじさんだった。
「あ、すみません。日本の方ですか?」 「いいえ、私はモンゴル人です。」
おじさんは流暢な日本語で答えた。そっか、おじさんは共同通信社のローカルスタッフなんだな。
「あ、ごめんなさい。実は私、この部屋に連れて来てもらったのですが・・・」
私は今までの経緯をおじさんに説明し、ガイドブックの地図を見せて現在地を尋ねた。おじさんは親切且つ丁寧に教えてくれ、また、この建物の地下1階に食堂があることも教えてくれた。ああ、ありがたや。捨てるサローラさんあれば拾うウランバートルの共同通信社あり。ああ、救われた。
場所さえわかりゃあこっちのもんだよ、モンゴルの蒼き狼め。よ~し、これから町探検だー。意気揚々と出かけ、あっちこっち歩いてみる。小腹が空いた時のため食料でも買うとしよう。ところが何かおやつでもと思っても、デルグール(商店)には何も売っていない。店の中には店員がいる。商品を並べる棚もある。が、肝心の商品がないのだ。店員さん達は暇を持て余しているかお喋りをしているかだ。これが社会主義の真の実態か。中国よりもずっとひどいじゃないか。店内で茫然としていると、お客さんが入ってきた。しかしお客さんはぱっと見回しただけで回れ右をして出ていった。商品が何もないから諦めたのだろう。
デルグール(商店)を出てぶらついていると、何やら人だかりがしている場所発見!何かを売っているようだ。何だろう。近づいてみると、それはソフトクリーム屋さんだった。ああ嬉しや。即座に列に加わる。だが、私の二人手前でソフトクリームは売り切れた。それっきり商売は終了。並んでいた人達はささっと散っていった。
ソフトクリームにありつけなかった無念さを胸にとぼとぼ歩き、また別のデルグール(商店)に入ってみる。なんとパンが売っているではないか!大きくて平たいパンだ。食べ応えありそう~。大急ぎで一つ購入。はあ~ぁ、やっと食べ物を手に入れたぞ。しかし、食品を買うのがこんなに難しいなんて、蒼き狼も大変なんだねぇ。店を出てパンを手に歩いていると、誰かが話しかけてきた。その人は私が持っているパンを指さし、何か聞いている。おそらくどこで買ったのとでも言っているのだろう。あっちだよと指し示すと、その人は店を目指して小走りに私の元から去っていった。
更にぶらついていると、モンゴルへ来る時同じ列車に乗っていた日本人の男の子とばったり出会った。やあ、元気と話しかけたところ、
「いやぁ、大変な目に遭いましたよ。」
と彼は頭を掻いた。男の子の話によると、今朝規模の大きなデルグール(商店)に入って、店の様子を写真に撮ろうとカメラのシャッターを何回か切ったら、店の人や警察がやってきて取り押さえられたそうだ。おまけにフィルムも没収されたのだと言う。
「まさか撮っちゃいけないなんて知らなかったから。」
男の子は自分の失敗談をハハハハと笑い飛ばした。なるほどね、商品のない店を写真に撮られるのは恥なんだな、モンゴルの蒼き狼としては。
やれやれ、食料品の乏しい場所で食べ物を調達するのって至難の業だ。パン一つゲットできただけでもよしとするか。ああ、こんなことだったら一泊目の高級ホテルのレストランで夕食を食べた時、残しちゃったチーズをタッパに入れて持ち帰ってくるんだったな。 あ、そう言えば、共同通信社のおじさんが団地に食堂があると言ってたっけ。お昼の時間だし行ってみよう。急いで住宅に戻り、地下の食堂へと走る。が、店の扉にはしっかりと鍵がかかっている。あれ、場所を間違えたか。でも待てよ。ドアの前にはメニューらしき札が下がっているじゃないの。確かにここは食堂なんだ。昼飯時にclosedの食堂かい。蒼き狼よ、無駄足という言葉はお前のためにあるんだね。がっくりうなだれ4階の部屋へ足取りも重く戻る私であった。
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アジアぶらぶら顛末記 モンゴル編
その1【蒼き狼への道】
モンゴルへの道はなかなかと険しかった。当時モンゴルの旅行は対外的に開放されてはいたが、まだいくつか制約があった。簡単な旅行計画書を書いてモンゴルの旅行代理店に送り、OKが出たらやっとビザの申請ができたのだった。
さっそく旅行計画書を送るとまもなく許可証が届いた。それは電報だった。手の平に載るほどの小さい紙切れにローマ字が並んでいた。英語にしては知らぬ単語ばかりだ。なんだ、これは?何度も見直してやっとこさそれがローマ字打ちの日本語だとわかった。その日のうちに電報を打った主から電話が来た。女性の声だ。 「ウランバートルの旅行会社のサローラと申します。電報受け取りましたか?」 結構流暢な日本語だ。 「それではモンゴル大使館へ行ってビザを申請してください。お待ちしています。」 サローラさんかぁ。モンゴル旅行を許可してくれた女神様だ。彼女が待っててくれるんだ。わああ!モンゴル行きが実現する。嬉しさで心臓がはじけ飛びそうだ。待ってろよ、モンゴルの蒼き狼!
翌日旅行許可書を持っていそいそとモンゴル大使館へ行った。大使館員の機嫌を損ねてはいけないと思い、笑顔で「サンバエノ~!」と挨拶し、ビザ申請書を窓口に出した。係のおばさんは「サイン、サンバエノ~」と答えてくれた。やった!好印象だ!しかし、 「あのね、写真は3枚いるの。もう1枚持って来て。」 え!ガイドブックにはビザ申請に必要な写真は2枚と書いてあったのに。いつから規則が変わったんだ!ったく、出直しかよ。モンゴルの蒼き狼め、最初からやってくれるじゃないか。
後日写真を追加しビザ申請に行って、数日後モンゴルビザの判を押したパスポートが戻ってきた。はあ~、ついに手に入れたぞ、モンゴルビザ!今度はこれを持って北京国際飯店の裏手にある列車の切符売り場へ行く。モンゴル行きの国際列車の切符を販売している場所だ。 行くとすでに行列ができていた。中国ではいつものことだ。販売時間も限られているようで、窓口はまだ開いていない。これも中国ではよくあることだ。辛抱強く待って並んで買った切符を手にしほっと息をついた。だが、これはまだモンゴルへ行く準備が整ったに過ぎないのだった。やれやれ、モンゴルの蒼き狼に会うのも大変なもんだ。
いよいよ出発の日。北京駅のホームに入ると早くもウランバートル行きの列車がスタンバっていた。車両の窓枠の下には北京―烏蘭巴托という札が貼ってあり、その漢字の下にはあの串焼きのようなモンゴル文字が書かれている。う~ん、モンゴルへ行く雰囲気が高まってきたぞ! 切符に印刷してある番号の席につくと、同じコンパートメントにはモンゴル人の男の子が乗っていた。北京大学の留学生だそうで、夏休みの里帰りなんだと言う。彼はモンゴル相撲の選手のように体格がよく、頬がふっくらしていてりんごほっぺ、目は細く切れ長で目尻が上がっている。モンゴロイドの見本という顔立ちだ。彼の地へ行けばこの留学生のような人が多いに違いない。モンゴルへの気持ちは一段と強まる。さあ、モンゴルの蒼き狼のもとへ、いざ出発進行!
この国際列車は特快(特急)とはいいながらも、停車駅で長時間止まったり、徐行したりとかなりダラダラ走っていた。中でも最もダラダラぶりを発揮したのは国境地点であった。中国国境の町エレンホトで我々乗客は降ろされた。ここで出国スタンプをぺたんと押されたのだが、それだけでは済まなかった。夜中だというのに我々をホームに置いたまま列車は車庫の中にゆっくりゆっくり入っていく。整備点検でもするのか。
否、違う。これは北京―モンゴル間の国際列車名物、車輪の幅チェンジだなのであった。中国とモンゴルでは線路の幅が異なるため、国境で車輪の台車の幅を換える作業を行わなければならないそうだ。この作業の待ち時間は2時間近くに及んだ。しかも真夜中にだ。なんで人が寝る時間にわざわざやるのか。非常に疑問に感じたが、なんたって赤い中国と蒼き狼が眠るモンゴル国境なんだから、どうしてと聞いたところでしょうがないのだろう。
再び列車が動き出したのは午前3時ごろ。やれやれだ。コンパートメントのベッドに寝ころび、トロトロまどろんだ。が、突然起こされる。モンゴル側国境の町ザミンウードに着いたのだ。乗り込んできた係官がパスポートチェックと入国スタンプぺたんこ作業をする。他にももう一人ハンマーを持った係官が荷物検査を行った。客のかばんの中身を見るのではない。危険なものを持ち込んできて車内に隠していないか調べるのだ。係官は鋭い目つきで我々を見たかと思うと、コンパートメントの壁をハンマーでトントン叩き始めた。さすがモンゴルの蒼き狼はやることが違うね。
夜更かしを強いられた乗客達はザミンウードをやり過ごしたところで眠りについた。ふと気がつけば、もう窓の外が明るい。朝はとっくに過ぎているじゃないか。あ、ここはもうすでにモンゴルだっけ。草原が見えるかな。がばっと飛び起き外を見る。外を見たが、短い草が所々に生えた荒れ地がどこまでも単調に続くだけだった。こんなチョロけた大地ではちょっとお粗末なのではないか。写真やテレビで見たあの緑つやつやの美しい草原はどこだ。スーホの白い馬が今にも駆けてくるような、風になびく草原はどうしたのだ。モンゴルの蒼き狼よ、期待を裏切ってくれるじゃないか。
いや、しかし待てよ。もう少し先に進めば青々とした草原の海が目の前に広がってくれるかもしれぬ。そう願いながら窓の外をじぃ~っと見つめる。今か今かと待っていると、ぽつぽつと建物が現れ、そのうち町になってきた。乗客達が慌ただしく動き出し、列車が止まった。駅に着いたのだ。終点のウランバートルに来たのだ。私も慌ててリュックを背負い、ホームへ飛び出した。誰かが私の名前を書いたプラカードを持っている。電報の送り主、旅行社のサローラさんだった。 「よくいらっしゃいました。こちらへどうぞ。」 サローラさんについていく。よーし、モンゴルの蒼き狼よ、どっからでもかかってらっしゃい!
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