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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 ラオス編
その2 【ビエンチャンに面食らう】
ビエンチャンに着いた。やった~、ラオスの首都だぞ、嬉しいなったら嬉しいな。未知の場所に到達することほどわくわくすることはないもんで、私はすっかり舞い上がっていた。ホテルの部屋に荷物を置くと、すぐさま町へ飛び出したのだった。
ガイドブックの地図を頼りに初めてのビエンチャンを闊歩し、全くいい気分。ところが、少し歩いただけでビエンチャンの端に着いてしまった。あれ、もう町はずれか。しょうがないなぁ、引き返そう。もと来た道を戻り、今度は反対方向へトコトコ歩く。が、しばらく行くと、また町はずれになってしまった。ここから先は特に何もなさそうだ。では南の方へ行ってみよう。トコトコトコ。しかしすぐに川に出た。ここから先には行けない。では北へ向かって歩いてみよう。トコトコトコ。やっぱりちょっと歩いただけで町はずれである。なんだあ、ビエンチャンってとっても小さい町なのね。東西30分、南北30分でもう行き止まりの狭さだ。
しかし見るものはあるぞ。フランスの凱旋門を真似て作ったというアーヌ・サワリに上ってみる。アーヌ・サワリの上からビエンチャンの町が見渡せていい気分。その上人も少なく、静かだ。道路がだだっ広く、信号が付いてはいるが通る車なんてほとんどなく、静かだ。この辺りは市場街と違い殺風景で、静かだ。まったくもって、静かだ。こんなに静かだと飽きが来る。実につまらん。早々にアーヌ・サワリを去った。もっと早く立ち去りゃよかった。
続いてお寺行く。ワット・ホー・パッケーオという有名な寺だ。これはタイのバンコクにあるワット・プラケオと親戚なのか兄弟なのか、ラオス語とタイ語で若干発音の差はあれども、名前は同じである。が、しかし、名前は同じでも中身は全く違っていた。タイのワット・プラケオの方はキンキラキンの金の屋根が印象的で大層派手な感がするのだが、ラオスのワット・ホー・パッケーオは寺の造りこそタイのと同じであるが、屋根は黒っぽく地味で非常に寂れている。まるでワビサビを感じさせる日本の神社仏閣のような佇まいだ。また、タイのワット・プラケオには参拝客や観光客がどっと押し寄せ大変賑わっているのに対し、ラオスのワット・ホー・パッケーオのほうはお客といえば私一人。なんだよ、この差は。寂しいじゃないか。
まあ、でも、折角来たのだから気を取り直し、ワット・ホー・パッケーオの狭い境内を一回りする。ぐるっと回って帰ろうとしたら、地元の若者がお寺に入ってきた。少し英語ができるようだったので、その人と喋った。が、最後の方に若者は
「ラオスは貧しい国なんです。弱い国なんです。」 「助けが必要なんです。」
と繰り返し言った。そうか、そんなに元気がない国なのか。ますます寂しい気持ちになる。
若者が語ったように、比較的賑やかだと思われる通りも元気がなさそうだった。セタティラート通り沿いにあるレストランをちょっと覗いてみたのだが、食事時であるというのにお客さんは誰もいなかった。店員さんも暇そうにしている。開店休業状態だ。閑古鳥が鳴きまくっている。こういう所には入る気になれなかった。
バスに乗ってビエンチャン近郊にも行ってみたが、ちょっと走ると何もない一本道に出た。道路の脇に植わっているバナナの木がバスの通る勢いでバサバサ揺れている。見るとバナナの木は、道に面した前半分が車の巻き上げた砂塵を浴びて土だらけになっていた。その土は赤土で、哀れバナナの木はレンガ色のファンデーションをはたかれたようになっていた。赤土は作物が育たないと聞く。信号付きの道路には車が走っていない、レストランに客はいない、国は弱い、人は元気はない、おまけに国土は赤土とあっては、もはやラオスには打つ手はないのか!流れる景色を窓越しに眺めながら溜息をつくばかりであった。
再び市内に戻ってきたのだが通りを歩いていても、嗚呼ラオスよ、そんなに寂れた国なのか、嗚呼ビエンチャンよ、そんなに不憫で悲しい町なのかと、問いかけずにはいられなかった。おっと突然だがちょっと催してきたぞ。あー、この辺りにトイレはないのか?ひゃあ、どうしよう困った。しょうがないから向かいから歩いてきたおじさんに、今度はトイレの場所を問いかけずにはいられなかった。
「ホームナム ユーサイ(トイレはどこですか)?」
すると、おじさんはすぐ手前にある建物を指さし、ほら、ついておいでという風に手招きした。その建物はかなり大きくて正面には大きな門まである。おじさんは門を押し開け、尚もずんずん中へ入って行った。え!いいの?だが、トイレはどこかと聞いてしまった以上、おじさんの後ろを小走りについていくしかない。中の敷地は広く、いくつか大きな建物があった。おじさんは一番左の建物に向かって一直線に歩いていき、残り30メートルくらいのところでピタッと止まった。そして、しきりにそっちそっちというように指を指す。どうやらこの建物の中にトイレがあるようだ。「コープチャイ(ありがとう)」と言って素早く建物の中に駆け込み、用を済ませて出てくると、おじさんはちゃんと待っていた。彼は私を確認するとニコッとして手を振り、“じゃ”というふうに行ってしまった。もォ、ホントどうもすみませんねぇ、お世話かけました。恐縮しております!と言いたかったが、ラオス語でどう言ったらいいの?
後ほど地図で確かめてみると、トイレを借りたのはどうやら大統領府の建物のようだった。げっ、そんな厳粛な所だとは知らんかった!国の重要な場所にマーキングしてしまったじゃないか。
お腹が減ってきたのでタラート・サオ(市場)へ急ぐ。ここにはおいしい麺があるのだ。ビエンチャンの麺はタイ東北部のそれと同様サラダ付き。麺の入った丼の他に大皿が出てくるのだが、これにたっぷりと野菜が載っかっている。レタスやサラダ菜、クレソン、トマトなら言うことはないが、ミントやら何かの野草みたいなハーブがどっさり積まれていて、タイ東北部よりもその盛り方は豪快だ。ちょっとこれは多すぎるよ。ウサギじゃないんだからね。葉っぱばっかり食ってられっかいっての。しかし、麺屋の女の子は
「あら、あなた、日本から来たの?じゃあサービスするわ。」
と、サラダの葉を更に増やしてくれた。てんこ盛りもいいところである。トホホホホ・・。だけど、気持ちは嬉しい。
食後はお隣の屋台でコーヒーをいただく。ラオスはフランス領になっていた影響でカフェが多い。ここのコーヒーはネルドリップ式。大きな濾し布を使ってドーッとダイナミックに湯を注ぎ、コーヒーを淹れる。この濾し布、もう少し大きかったら虫取り網みたいだ。おもしろそうだからつい濾し布を一つ買ってしまった。
腹ごなしにまた散歩。今度はワットシーサケットへ。お寺にはお坊さんが二人いた。持参した『地球の歩き方フロンティアラオス編』には“お坊さんには握手を求めるなど失礼な態度をとってはいけない。丁寧に接するように”との言葉が注意事項の欄に書いてある。だから緊張してしまう。気をつけなくちゃ。だが、お坊さん達はニコニコしながら近づいてきて、さっと手を差し出してきた。握手を求めている。え!?シェイクハンドはダメなんじゃないの?恐る恐るお坊さん達と握手する。
もお~ォ、地球の歩き方の嘘つき!握手厳禁ってわけじゃないじゃない!お坊さん達は側にいたちょっと英語のできる青年を介して、二言三言質問した。私がどこから来たのか、仕事は何か、ビエンチャンはどうか、などだ。そして、その青年に「彼女に町を案内してあげなさい」と促した。え、いや、そんなそんな、いいですよ~。動揺する私のことなど気にせず、いいからいいからとどこまでも笑顔のお坊さん達だった。
ビエンチャンの町の様子に心配を募らせ、将来のラオスを問題視していた私だが、麺は美味しいし、コーヒーも美味しい、そしてトイレの場所を教えてくれたり町を案内してくれたりと、人も親切だ。ラオスも捨てたもんじゃない。万歳ラオス!万歳ビエンチャン!たちまち前言撤回するの私なのであった。
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アジアぶらぶら顛末記 |
アジアぶらぶら顛末記 ラオス編
その1 【ドギマギ国際線】
ラオスへはタイ経由で入った。今ではタイ北部の町ノーンカイから車やバスで橋を渡り、ラオスへ行ける。つまり、陸路で国境を越えられる。しかし、私がラオスへ行ったのは15年以上も前のこと。メコン川の上に車道などなかったのである。当時ラオスへ行くにはメコンを船で越えるしかなかった。
川を越える、要するに水路である。メコン川は大きな川だが、対岸であるラオスの土地の様子がこちらからでも肉眼で割とはっきり見て取れるほどだから、そんなに距離もない。それで国境を越える船と言っても、実際は小さな渡し船なのだった。小さな船だからすぐに満席になるんだろう、船が岸と岸を行き来する回数は多かった。渡し船の往来は頻繁に繰り返され、それは高台のレストランから見ていると、電気仕掛けの船のおもちゃが行ったり来たりしているように見えたのだった。
だが、渡し船といってもれっきとした国際線だ。タイの船にはちゃんとタイの国旗が、ラオスの船にはラオスの国旗が掲げてある。ちっこい船といえども馬鹿にはできない雰囲気が、岸辺にそこはかとなく漂っていたのである。
私はノーンカイの船着き場で出国手続きを済ませ乗船を待っていた。国境越えであるから、税関の検査員やら、パスポートチェックやら、出国スタンプやらという事務的な緊張感があるため、南国ののんびりした下手をするといい加減そうな空気がちょっとは引き締まっているような気がした。私もやや緊張の面持ちで待つ。
ラオス側から来た船のお客さんが全員下りると、今度はタイ側からお客さんが乗り込む番だ。私もこの列に並ぶ。私の乗る船にはタイ国旗が掲げてあった。二十数名ほどで満席になるような小さな船で国境越えだなんて、長閑というか優雅というか、なかなか粋なもんじゃないか。メコンを間近に見ながらラオス入りというのは味があるってもんじゃないか。川を渡る国境越えなんて日本じゃできない体験じゃないか。胸が高鳴る。
ところがだ。船に乗り込んで唖然とした。同時にたじろいだ。船はお粗末な屋形船というような形をしていた。つまり、外から見ると座る部分が木製の壁で囲われているので船内の様子がわからなかったのだ。壁がないのは船のお尻の方で、我々乗客はこのお尻の方から乗り込んだのだった。乗って初めて船の内壁を見、仰天した。
なんと船内の壁という壁にヌードポスターがべたべた貼ってあったのだ。しかも、隙間なくびっしりと。タイは開放的なお国柄なのか、よく一杯飯屋の壁なんかにヌードポスターがジャーンと貼ってあったりする。また、露天の本屋でお坊さんの写真の横に一緒にヌード写真なんか売っていたりしてびっくりする。なんでお坊さんの写真を売っている所に同様にヌード写真なんか販売しているのか。まあ、男性にとってはお坊さんの写真もヌード写真もありがたいのかもしれないが。とにかく「あんたも好きねぇ」という感があちこちに見られるタイなのだが、まさか渡し船にもヌードポスターが貼ってあるとは思わなかった。しかも国際線だよ、一応。私は口をぽかーんと開け、ヌードポスターを見回した。ご丁寧にそれらは天井にまで貼ってあった。女の私でもこんなに裸の女性に囲まれちゃあ、顔が赤らんでくるじゃないの。嗚呼、恥ずかしい。
それにしてもこんなに船内いっぱいヌードを貼り付けているのはお客さんへのサービスか、それとも単に船頭さんの趣味なのか。他のお客さんはちゃんと落ち着いていて、私のようにあっちを見たりこっちを見たりなんてことはしていない。至って冷静だ。こんなにヌードの女達に囲まれているのに、なんでみんな平然としていられるのか。こんなことには慣れているんだろうか。
渡し船は既にメコンの幅半ばくらいに差しかかっていた。まったく、長閑で粋な船旅と洒落込む予定だったのに、ヌードポスターのお陰で旅情を味わうのを忘れちゃったじゃないか。少し落ち着いたところで、もう一度よくこのポスターを見てみた。するとタイ独特の味わい(?)があることに気づいた。モデルはそれぞれいろいろなポーズをとっているのだが、あるポスターのモデルは股間を隠す道具にソムタムを作る壺を用いていた。あぐらを掻いたその真ん中にソムタム作りのときに使う壺と、青パパイヤを和えるすりこ木のような棒をどんと置いてモデルは微笑んでいる。こんなポスターはタイにしか存在しないだろうなあ。
そんなことを思っていると、渡し船はラオス側の岸タ・ドゥアーの村に到着していた。我々乗客は一斉に下船し、入れ替わりにタイ側へ行く乗客が船に乗り込んだ。この人達もべたべた貼り付けられたヌードポスターを見てなんとも思わないのだろうか。ぼんやり下りたばかりの渡し船を見ていると、
「おーい、あんた、ビエンチャンへ行くんだろ。早く乗りなよ。」
小型トラックの運ちゃんが私に向かって怒鳴っていた。はいはい、待って、乗りますよ~。私はトラックの荷台に乗ってタ・ドゥアーを離れていき、ヌード満載の渡し船もまたタ・ドゥアーの岸を離れていったのだった。
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