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アジアぶらぶら顛末記
アジアぶらぶら顛末記 タイ編

その2【ノーンカイ引き回しの刑始まる】

 ノーンカイはのどかで癒される町だ。泊まっているホテルの向かいにあるワットスィーチョムチェーン(お寺の名前)のお坊さん達は可愛いし、屋台でおばあさんが売っているココナッツちまきはおいしいし、楽しみを見つけながら歩ける町である。それに何よりメコン川がすぐそばにある。緩やかに流れているメコンを見ると、心が安らいでいくような気がするだった。

 ノーンカイ初日の夕方、私はメコンの畔に立って、時の経つのも忘れその流れを見つめていた。5、6歳の女の子が二人、川べりで無邪気に遊んでいる。可愛いねえ。それをずっと眺めていたら、彼女らも私に気づいたようだ。よ~し、ほ-らいないいないばあ~っだ。女の子達は大笑いして、いないいないばあのお返しをしてくれた。我々はいないいないばあごっこに興じていたが、それがだんだんエスカレートして鬼ごっことなった。しばらく笑いながら戯れていたのだが、疲れてきた私は土手にへたり込んだ。すると女の子は私に言った。

「○△×■▽☆◎○・・・・?」

タイ語がわからないので私は「?」という顔をして見せた。するともう一度

「○△×■マージャナイ?」

 今度はちょっとわかったような気がする。どこから来たのかと聞いているのだろう。それで、

「マージャ ジップン(日本から来たの)。ディーチャン ベン コンジップン(私日本人なのよ)。」

と答えた。すると二人は何かコソコソ言ったかと思うとダダダーッと走って逃げてしまった。おやまあ、外国人だったから驚いたのかな。怖がらせて悪かったかしら。

 一人になった私は少々寂しさを感じながら再び岸辺に佇みメコンを見つめた。5分ほど経った頃、さっきの女の子がまた現れた。今度はもう少し大きい女の子も一緒だった。大きい女の子はツカツカと近づいてきて言った。

「アー ユー ア ジャパニーズ?」

 私が頷くと女の子達は嬉しそうにした。聞けば英語の話せるちょっと大きい子は中学二年生で、さっき鬼ごっこをして遊んだ子のうちの一人の姉であった。この中学生のお姉ちゃんはアリアンヌという名前で(本名はファンダイというらしいのだが)、ノーンカイ市内に住んでいると言った。アリアンヌは初対面の外国人に全く物怖じすることなく、尚も話しかけてきた。

「今から妹の学校に行くんですが、あなたも一緒に行きませんか。」

 なんと、誘われちゃった。折角の申し出だから従うことにし、アリアンヌの後をついて行った。が、彼女が道端に止めてあったスクーターにひょいとまたがり、私に向かってレッツゴーと言ったときは目眩がした。うそ!これに乗るの?ノーンカイでは中学生がスクーター運転してもいいのかいな。しかし彼女は戸惑う私のことなど気に留める様子もなく

「スィッ ダウン プリーズ。」

と、シートの後ろをポンポンと叩いた。言われるまま私はアリアンヌの後ろに座り、彼女の妹(ジュディという)はアリアンヌの前に座った。スクーター三人乗り、しかもノーヘルメットだよ。本当に大丈夫なのか。人の心配をよそにアリアンヌのスクーターは走り出した。

 年も体も自分より小さい中学生に運転してもらい、後ろに乗せてもらっている今の状況は非常に恥ずかしくかたじけない。だが、同時に車の通りの少ないのどかな道をのんびり走っていることが気持ちよく感じた。頬をなでる風が滑らかだ。何故だか牧歌的な感覚さえする。夢心地でツ-リング気分を味わい、幸せ。しかし、実はこれがアリアンヌ達による“ノーンカイ引き回しの刑”の幕開けだとはまだ知らぬ私であった。

 ほどなく我々は学校に着いた。校門の前でスクーターを降り校庭に入ると、すでに下校時刻らしく子ども達が校舎からぞろぞろ出てくるところだった。すぐに帰っちゃう子もいれば、校庭でボール遊びをしている子もいた。また校庭の隅っこでコーン入りアイスを売っている自転車おじさんからアイスを買っている子も多かった。

 やがて一人の女の子がこちらに向かって鞠のように走ってきた。彼女がアリアンヌのすぐ下の妹ワッセナーだった。ワッセナーは小学6年生だ。

「今から伯母さんのうちに行くんだけど一緒に行きましょう。」

 アリアンヌはニコニコしながら言う。私も笑顔で「オーケー」と答えたが、果たして今後彼女らとお互いにちゃんとコミュニケーションがとれるのか、叔母さんのうちでも不完全な英語と付け焼き刃のタイ語だけで通用するのか、心の中に不安が広がった。しかし気がついたらまたスクーターに乗せられていた。アリアンヌ、ワッセナー、ジュディの三姉妹の後ろに私が乗って、恐怖のノーヘルで四人乗り。それなのに誰も咎める者はいない。しかも今度運転しているのは小学生のワッセナーだ。ノーンカイではスクーターに何人乗ろうが、小学生が運転しようがかまわないようだった。なんて所だ。

 伯母さん宅は割と近かった。伯母さん(お父さんのお姉さん)は玄関先で何やら大きな葉っぱと格闘していた。アリアンヌに紹介され「サワディカー」と元気よく挨拶すると、伯母さんも私に機嫌良く挨拶してくれた。大柄な伯母さんは大きな葉で肉の塊と米を包んだ物を指さして『バッチャン』と言った。どうやらこの食べ物の名前らしい。アリアンヌの説明では実は自分たちはベトナム人で、おばあちゃんの代にタイへ移り住んだのだそうだ。『バッチャン』もベトナムの食べ物で、旧正月の時に食べるのだという。伯母さんはすごい勢いでバッチャン作りをしながら、まぁ上がって遊んで行きなさいというようなことを言った(たぶん)。

 うちの中に上がり込んだ私を待ち受けていたのはこの家族との対面だった。が、このうちは人数が多い。アリアンヌのいとこのお兄さんお姉さんが大勢いて、皆の名前を紹介してくれるのだがいっぺんには覚えられない。しかし、おばあちゃんはとても印象的であった。黒縁の眼鏡をかけたおばあちゃんは孫達に囲まれてちんまりと座っていた。皺くちゃのお顔は笑うと更に皺くちゃになった。背中を丸めて我々の話す様子を静かに見守っているおばあちゃんは、仙人のような風格があった。80歳なのか、90歳なのか、はたまた100歳なのか、いや200歳だと言っても信じられるような、そんな不思議なオーラがおばあちゃんから出ていた。

「ムニャムニャムニャ・・・・」

と何か喋るおばあちゃん。その声は小さくてとても可愛らしい。高いトーンだけど何故かおっとりした響きがある。

「おばあちゃんはベトナム語しか話せないの。」
 
とアリアンヌ。そうか、おばあちゃんは年を取ってからタイに来たのね。だからタイ語が習得できていないのか。しかし、彼女の子ども達孫達はタイ育ちだから、タイ語とベトナム語ができる。アリアンヌは英語もちょっとできる。すごいなあ~。

 と、そこへ高校生くらいの男の子が訪ねてきた。このうちのお兄ちゃんの友達らしい。彼は見慣れない客人が日本人だと聞いて露骨に驚いた。そして私に恐る恐る「ソゴウ」とか、「アジノモト」とか言った。私が笑いながら頷くと、ああああ~、通じた通じたと大喜びし、両手で顔を覆いながら部屋中走り回った。なんだ、大袈裟なやっちゃなぁ。でも、可愛いじゃん。

 みんなと居間で記念写真を撮った後、アリアンヌにまたスクーターでホテルまで送ってもらった。そして別れ際アリアンヌは言った。

「明日も遊びましょう。放課後、ワッセナーの学校に来てください。オーケー?」

 とっさに頷いてしまった。ああ、いったい明日はどうなりますことやら。それにしても男にはモテないが、子どもにはモテるという本領を発揮してしまったノーンカイの第一日目であった。ふう、やれやれ。


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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学


アジアぶらぶら顛末記
アジアぶらぶら顛末記  タイ編

その1【ゲーレオで悪かったわね】

 初めて降り立ったバンコクの町は真夜中だった。夜更けて尚賑わえるホアランポーン駅界隈に一人放り出された私は、地図を片手にうろうろ歩き回っていた。地理オンチが夜中に彷徨うとろくなことがないもんで、今いったい自分がどこを歩いているかさえもわからなくなる始末。暑いわ、焦るわ、怖いわで、体中から汗が噴き出す。あまりにも情けない哀れな様子だったんだろう、とうとうお巡りさんに拾われた。

「どこに行くんですか。」

 お巡りさんは心配そうに尋ねてくれた。スリクルンホテルに行きたいと言うと、先に立って案内してくれた。が、なんと、ホテルはすぐ目の前にあったではないか。なんでわからなかったんだろ。

「夜は特に気をつけてくださいね。」

 お巡りさんはにっこり笑うと去って行った。ああ、かたじけなや。親切なお巡りさん、どうもコープクンカッ!!

 ホテルのカウンターでは従業員さんがニコニコしながら迎えてくれた。チェックインもすんなりいき、部屋に水を持ってきてくれたルームサービスボーイの笑顔も爽やかだった。お巡りさんといいホテルの人といい、タイではみんなスマイルじゃん!中国と全然違うなあ。旅人の多くが『タイいいよー』って言っていたのが初日にしてわかった気がした。

 買い物をしても道を聞いてもタイの人はおおむね親切だ。ぶっきらぼうに“没有(メイヨー)”なんて言わず、申し訳なさそうに“マイミー(ありません)”と言う。うーん、やっぱりタイって素敵だ、やっぱり中国って最低だ、とタイのポイントが何点もアップしていく。旅行会社のパンフレットにも“微笑みの国タイへようこそ”なんて文字が躍っていたが、あれは何も大袈裟な表現ではなく真理であったのだな。私は深く納得し、嬉しくなったのだった。

 スリクルンホテルがやや割高なので、三日目から日本人が多く泊まっているというジュライホテルへ引っ越した。ここで日本人からバンコクの情報をいろいろ仕入れて動くのもいいなと思ったのだが、日本人客らしき姿は見当たらなかった。ま、いいや、こんな時は従業員さんに遊んでもらおう。フロントで暇そうにしているスタッフはこれまた笑顔のいい明るい兄ちゃん達。気さくにタイ語を教えてくれたりして、楽しくおしゃべりできた。だが、話しているうちにわかった事実。

「本当のこと言うと、僕たちは日本人がキライなんだ。」

 えーっ、そうなの!面と向かってそう言われるとショックじゃあーりませんか。だけどキライな日本人ともこうやってニコニコ笑顔で接しているってわけ?何故キライなのかと恐る恐る聞く。

「だって変だよ、日本人って。夕方起きてきて、酒飲んで、女買って、朝になったら寝るんだよ。観光なんて何もしない。何しに来てるんだか。」

 な~るほど。ここに泊まっている連中って、ただダラダラ溜まってる野郎ばかりなんだ!だから昼間に顔あわせないのね。ほんと、何やってんだか。けどね、彼らと私は別もんだ。せっかく来たんだもん、バンコクをいろいろ見て回りたい。不健全な奴らと一緒にしないでね。
 
 さて、再び観光に出かけるとするか。身支度を調えるためいったん部屋に戻ろう。階段を駆け上がり、ふと踊り場に目をやると、小さい黒板が立てかけてあるのに気づいた。あれ、こんな所に黒板なんてあったっけ。見ると黒板には細かく線が引いてあり、上の方に番号が書いてあった。どうやら部屋番号のようだ。その下には“日本人”と漢字で書かれている。どの部屋番号の下にも“日本人”の文字。まあ、ここには日本人しか泊まってないのか!で、私の部屋番号のところは・・・・・わああああっ、なんと“異人”と書いてあるではないか!何が異人だ!勝手に書くな!怒りが込み上げてきて、「異」という字を消し、「美」と書き直した。ふん、ざまぁみろいっ!

 美人は観光ついでに駅へ行き、ノーンカイ行きの切符を予約した。中国以外の国で列車に乗るのは初めて。しかも寝台車なんてワクワクしちゃうな。だが、切符を買うときは緊張した。なぜならタイ人は表向きにはニコニコしていても、ジュライホテルの兄ちゃんが言っていたように日本人が気に入らないかもしれないもんね。ウケをよくしようとチケットカウンターで思い切り愛想よくしたが、

「ノーンカイまでね、あさってのぶんでいいんですね。一人?一人で大丈夫?」

と、カウンターのおじさんにすっかり心配されてしまったのだった。

 寝台車に乗ったはずなのだが、座席は普通のものと何ら変わりなかった。JRの新快速のように向かい合わせになった座席があるばかり。なんで?(後でわかったのだが、寝る時間帯になったら列車員さんがやってきて、ガチャンガチャンと座席をベッドに組み替えてくれるのだった)とにかくチケットに書いてある番号のところに座り、初めてのタイ列車の旅に胸躍らせた。出発間際、私の向かい側に一人の男が座った。年の頃30過ぎの痩せ形、眼鏡をかけていて短髪、白いカッターシャツにスラックスというラフな格好の兄さんだった。彼は何やら話しかけてきたが、タイ語でぺらぺらやられたんじゃ当然こっちはわからない。それで、習ったばかりのフレーズを初めて使ってみた。

「ディーチャン ベン コンジープン (私は日本人です)。」

 すると兄さんは“おおおおおぉ~”と派手に驚き、

「ジャパニーズ?」

と英語で確認した。が、英語はほとんどできない様子。私の英語も自分の身長と同じくらい低いレベルなもんで、相手の英語力をどうこう言える立場ではない。ううむ、しょうがない、この兄さんと向かい合わせになった以上、ちっとは愛想よくしてやるか。ジュライホテルのお兄さん達から習ったタイ語を書き留めたメモ帳を取り出し、“私はノーンカイへ行きます”とか、“あなたはどこへ行きますか”などタイ語で話してみて、通じたらほほ~、やったあ~、と手をたたき、兄さんを喜ばせた。(仕方なく喜んでくれたのかもしれないが)

 そして兄さんの方も私に聞いた。

「クン アー ユー タウライ カ ?(あんた何歳なの?)」

 急いでメモ帳をめくり、数字を書き込んだページを探しあて、

「えーっと、えー、イースィップ ガウ(29)!」

と答えた。(当時私は29歳だった。)すると兄さんは

「イースィップ ガウ・・・イースィップ ガウ・・・・・」

と小声で繰り返し、やがて黙り込んでしまった。あれ、通じなかったのかな。私の発音が悪かったのかな?と、突然兄さんは大声で言った。

「オールド!!」

な、な、なに~!?一瞬二人の間に沈黙が流れた。が、次の瞬間お互い大笑いしてしまった。まったくもぉ、兄さん!何考えているのかと思ったら『年増』と言いたいがために、その英単語を思い出してたのね。背が低くて童顔の私はよく若く見られるが、きっと彼も29には見えないネと言おうとしたんだろう。ほんまに、大きなお世話だ。

 ところで『old』ってタイ語ではなんと言うのか。兄さんによると『ゲーレオ』と言うのだそうだ。日本語の『年増』って手遅れだというレッテルを貼ったような、どうしようもなく毒を含んだ言葉だが、英語の『old』もどことなく陰鬱な響きがあってイヤだ。が、『ゲーレオ』はその上を行く。‘ゲー’と低く発音して、その後すかさず‘レオッ’と上がるのだが、その軽く上がるのがいかにも人を小馬鹿にしたように聞こえるのだ。‘ゲー’ときて‘レオ’とはひどい、ひどすぎる。しかし、兄さんから見たら私は『ゲーレオ』なのだ。ふんっ、『ゲーレオ』で悪かったわねぇ!ま、その後兄さんにオレンジジュースをごちそうしてもらったので、今回は勘弁してあげたけどね。

 兄さんは途中で降り、話し相手がいなくなった。私は黙って列車の揺れに身を任せながらこれからの旅に思いを巡らせドキドキしていた。タイって本当に素敵な微笑みの国。だけどスマイルしつつも結構ズバズバ言ってくれるじゃないのよ。なかなか手応えのある人々じゃない!今後の展開がとっても楽しみだ。私は心の中で指をポキポキ鳴らしたのであった。 



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